
【 5坪の店 】
小さなセレクトショップから誘いを受けてから、わたしは休憩時間になると、その店へ足を運ぶようになりました。
それは、人気だったラルフローレンのビッグポロや、インセインといったブランドが一段落した頃です。
その代わり、とあるドメスティックブランドが一部の間で人気を集めていました。
このブランドは後に大化けするのですが、それはもう少し先の話です。
店内は、とにかく混沌としていました。
ヨーロッパ物の服の隣に、リチャード・アヴェドンやジュディ・ブレームのTシャツがハンギングされ、シルエットのミッキーマウスのキャップや、キース・ヘリングのキャップが並んでいます。
当時、アート寄りの商品は棲み分けされていたので、こうした構成はとても新鮮に映りました。
まだ、セレクトショップで取り扱うのは珍しかったからです。
奥の棚の上には、子供サイズのエアジョーダン5や、巨大なニューバランス1300、アディダスのキャンパスやプロモデルなどの名作スニーカーが、ディスプレイのように鎮座していました。
さらに下の棚には、日本未上陸のGAPのポケットTシャツやシャツ、ボトムが並び、店のオリジナル商品も作りはじめた頃でした。
これらが集まると、まさに“ごった煮”状態です。
レジ前のガラスケースには、二重巻きにしてブレスレットとして使う人が多かったエルメスのチョーカーや、ミッキーマウスの時計が並んでいました。
高いのか安いのか、上品なのか雑多なのか。
その境界は曖昧で、でもそれが不思議と成立していました。
おそらく、当時のセレクトショップでは扱われなかった品々が、宝探しのように見つかるワクワク感があったからです。
こうして、この混沌が、逆に店を魅力的に彩っていたのです。
【 海外のメンズ雑誌 】
当時、店の休憩室には海外のファッション雑誌が置かれていました。
先輩社員たちは、こうした雑誌(GQやL’Uomo Vogue)からスタイリングの着想を得ることもあると言っていました。
その話を聞き、わたしも同じように雑誌から何かを掴もうと、掲載された写真や英文の紹介文を読み解いてみました。
しかし日本の雑誌と違い、アイテムを紹介するページはほとんどありません。
掲載されているのは、エグゼクティブ感のあるファッションフォトばかりで、英文も抽象的で、ポエムのようでした。
使用アイテムも簡素で、ブランド名と現地価格が載っている程度です。
そんな中、ある日のGQ最新号に、近未来的な謎のスニーカーが小さく掲載されていたのです。
【 エアレイド 】
そのスニーカーは、真っ黒のミッドカットで、ポッテリとしたシルエットをしていました。
グレーのテープが甲の部分でクロスしています。
英文からNIKEだとは分かりましたが、それ以上の情報は読み取れませんでした。
しばらくして、それがエアレイドというモデルだと知ります。
さらに近所で友人が働く店に、ACGのエアハラチと一緒に入荷したと聞きました。
並行輸入だったので3万円近くと高かったのですが、迷わず買いに行きました。
GQではあまりにも小さな掲載だったので、プロトタイプだと思ったくらいです。
しかし10日もしないうちに、別のセレクトショップで日本正規品として、半額くらいで売られていました。
アルバイトには辛い出費でしたが、これも勉強代になってしまいました。
それでも、あのGQ掲載のイメージがあまりに良かったので、満足していました。
【 ジジリ 】
モードの世界もまた、バブル期へのカウンターのように、ゆったりとした、なで肩のシルエットがじわじわと台頭しはじめていました。
海外の雑誌でも、そうしたスタイリングが紹介されているのを見つけるたびに、周囲が少しずつ熱くなっていくのを感じます。
それを少し前からフォーマルで体現していたのが、例のフランスのブランドで、モードに振り切ったのがドルチェ&ガッバーナです。
上はルーズに、下はテーパードのかかったパンツ。足元はゴツめの靴が好まれました。
わたしも例に漏れず、大きめのローゲージニットを着たり、ガリビエールのようなフランスのクライミングブーツを履いたりして、そのイメージを追いかけていました。
そんな頃、小さなセレクトショップには、社長がヨーロッパ出張から戻り、新ブランドが入荷してきました。
最近できたブランドで、日本未上陸のジジリというブランドです。
近所のセレクトショップで定評のあるロメオ・ジリのディフュージョンブランドらしいのですが、ロメオ・ジリのカチッとした品のあるイメージはありませんでした。
入荷していたのは、シンプルなAラインのシャツと、ゆったりした大きなポケット付きの紺色のベストです。
これは、わたしが働いているセレクトショップに入荷する服とは違い、誰もまだ着ていないブランドバリューを感じました。
わたしはこの2点を即決で買い、ちょっとした優越感も覚えました。
しかしそれは、まだまだ服に頼っている自分がいるということでもありました。
自分らしさを見つけられていない証でもあります。
そして同時に、わたしが働いているセレクトショップとは違う方向へ、少しずつ進みはじめていた。
そんな行動でもあったのです。
【 旅立ち 】
いよいよ決断の時が来ました。
わたしは店長に呼ばれ、今後の進路を伝えねばなりません。
わたしを育ててくれたこの職場に、大きな不満はありませんでした。
だからこそ、苦しい決断でしたが、わたしは小さなセレクトショップへ進む決心をしていました。
結局、この結論に至った理由は、完成された場所に落ち着いてしまう自分が、逃げ場をなくしてしまうようで怖かったのかもしれません。
こうして、わたしは店長に辞める意思を伝え、ひと月後に去ることとなりました。
そして最後まで気になっていた憧れのフランスのブランドに関しては、業界に入って2〜3年のわたしでは、力不足にも感じていました。
結果として、その店には入るべくして入る業界の先輩が入り、わたしのイメージ通り、憧れのままそこにあり続けてくれていたのです。
わたしは寂しさと、少しの不安を抱えたまま、その一歩を踏み出しました。

