kengoloidの半生記 1995|原宿「 価値観を変えるブランドたち 」 【 良質なプリントデザイン 】 原宿店にも、新しいブランドが並ぶようになりました。 ひとつは、すでに原宿店の主軸となっていたブランドデザイナーの紹介で取り扱いが始まった、インディペンデントのTシャツブランドです。 ゴシック調の大きなロゴに、ターゲットマークを思わせるブランドネーム。存在感のあるピスネームや厚く刷られたプ... タカハシ
kengoloidの半生記 -1995|原宿「 夜遊びの行き先 」 原宿の事務所で寝泊まりすることが多かったわたしは、残業が無い日には友人たちと夜遊びに出掛けていました。振り返れば、クラブそのものが好きだったというより、飲んだ勢いで流れ着くように足を運んでいただけだった気がします。それでも、週に一、二回はどこかしらのクラブに顔を出していました。 【 YELLOWで聴く子守唄 】 当時... タカハシ
kengoloidの半生記 1995|原宿「ニューウェーブと紡いでいく世界」 【 渋谷店のニッチブランド 】 渋谷店では、少し前から、とある国内ブランドを取り扱っていました。デザイナーは渋谷店のアルバイトと同郷の先輩で、わたしと同い年の人です。非常に落ち着いた雰囲気で、渋谷店のスタッフたちからも信頼されていました。 ビート・ジェネレーションを思わせるブランド名にも親近感を覚えました。ほかのストリ... タカハシ
kengoloidの半生記 1995|原宿「裏原宿の転換点」 【 裏原宿 】 原宿のお店も、少しずつ売れる商品が増えてきました。 ある靴デザイナーが手掛けるTシャツは、フォト作品をそのままストリートへ持ち込んだような世界観が秀逸で、入荷するとあっという間に売り切れてしまいました。 また、そのブランドに付いていた赤いリボンの下げ札は、いつしかポーターの黒いバッグに結ぶのが、お客さん... タカハシ
kengoloidの半生記 1995|原宿「ポンプフューリー前夜」 【 ノースウェーブ 】 80年代後半から90年代前半は、各ブランドが新しいスニーカーを次々と生み出していた頃です。 ハイテクを意識した近未来的なデザインや、それまでの概念と違う実験的なモデル。特にNIKEからは、日本では発売されなかった「何コレ?」と思うようなスニーカーも数多く存在していました。 そして、ちょっと前から... タカハシ
kengoloidの半生記 1995|原宿「赤髪の衝動」 【 スーパーモデル 】 94年、95年頃は、ゴージャスなスーパーモデルブームも少し落ち着いて、個性的なモデルたちが注目されるようになっていた頃です。 女性誌では、そんな彼女たちのオフショットを集めたような特集がよく組まれていました。ランウェイとは違う、自然体の普段着姿に、わたしは強く惹かれていました。 もちろん、「綺麗... タカハシ
kengoloidの半生記 1994|原宿「頑張ること、無理すること」 【 原宿の事務所 】 この頃になると、オリジナル商品の数も増え、渋谷の雑居ビルにあった事務所は手狭になってきました。 そこで事務所は、お店から一本駅寄りの路地にあるビルの一階へと移転します。 当時の原宿は、少し奥へ入れば渋谷よりも家賃が安くて、広いスペースを確保しやすかったからでしょう。 新しい事務所はかなり広く、奥の... タカハシ
kengoloidの半生記 1994|渋谷・原宿「遠くで見ていたこと、近くで見えること」 【 不可抗力 】 ある日、社長や先輩達と渋谷の居酒屋に飲みに行きました。 どんな流れだったのか覚えていませんが、みんなほどよく酔っ払って、2軒目(もしかしたら3軒目)へ向かう途中のことです。 当時、社長はボクシングジムに通っていて、「寸止めするから、そこに立ってみて」と言いながら、わたしの顔の前でジャブを繰り出してきま... タカハシ
kengoloidの半生記 1994|渋谷・原宿「服の向こう側」 【 ネイティブアメリカン 】 学生時代から90年代前半というのは、インディアンジュエリーが安定して流行っていた頃です。 わたしも例外ではなく、シルバーのバングルなどを身につけていましたが、ある映画との出会いをきっかけに、その興味は少しずつ薄まっていきました。 その映画とは、実家で契約していた映画専門チャンネルで何度も見... タカハシ
kengoloidの半生記 1994|渋谷・原宿「新しい仲間たち」 【 渋谷店のアルバイト 】 一緒に入社した、スタイリストを目指していた同僚(先輩)は、少しずつ本来の仕事が入るようになっていました。 ある日、彼が「スタイリングを担当した」と言って、一冊の雑誌を持ってきました。それはファッション誌ではなく、少女向けの雑誌でした。 はっきりとは覚えていませんが、彼が担当したページだけが、... タカハシ