1992-1993|渋谷「ファッションの熱病と、若き勘違い」
ファッションの熱病 】

相変わらず、日中は洋服屋で働き、夜はクラブ通いに忙しい毎日でした。

この頃になると、格好もすっかりアパレル人らしくなっていて、ある意味、好きなものに囲まれながら、自分の理想とするファッションを目指していられた時期でもあります。

業界人が知るブランドやアイテムは、お互いを認識出来る“サイン”のような役割を持っていて、それを共有できる仲間として、近所のお店の人やファッション業界に近しい知り合いが、少しずつ増えていきました。

また、お店には、近所でショップを経営している人や、デザイナー、スタイリスト、DJなど、多くの先輩たちが買い物に来てくれました。

先輩たちはレディースのスタッフには友人が多かったのですが、メンズのスタッフはどちらかと言うと内向的な人が多く、あまり外の人と関わろうとしません。

そのため、外部との窓口になるのは、自然とわたしか、モデルの同僚になっていました。

もっとも、モデルの彼は生意気な態度で接することも多かったので、気がつくと、買い物の対応はわたしがすることが増えていきました。

 

小さなセレクトショップ 】

渋谷の消防署の向かいにあるビルの二階に、五坪ほどの小さなセレクトショップがありました。

階段を上がった先にある、隠れ家のような店です。

「世界中から良いものを」をコンセプトに、

自由な並行輸入で、ほかでは見かけない服や小物が並んでいました。

店は小さいのに、なぜか業界の人間がよく出入りしていて、その店の社長も、よくわたしたちの店に買い物に来てくれました。

カジュアルショップのオーナーなのに、いつもウールのパンツにシャツ、そしてジャケットという端正な格好です。

どこかヨーロッパの匂いがする人でした。

18歳で店を始めたという話も、当時のわたしには、まるで伝説のように聞こえました。

その店には、わたしが働くセレクトショップで以前アルバイトをしていた先輩もいました。

豪快で、何でも知っていて、話を聞いているだけで楽しくなる兄貴肌の人です。

この社長さんと先輩とは、イベントやクラブで顔を合わせることがありました。

彼らはクラブGOLDに集まる業界人の中心にいて、いつも楽しそうに盛り上がっています。わたしから見ると、どこかキラキラした世界の人たちでした。

そんな人たちが気にかけてくれることが、その頃のわたしには、ただただ嬉しかったのです。

 

狭くなる視野 】

こうしてアパレル業界の知り合いが、さらに増えていく中、わたしは自分を見失いはじめていました。

それは、特に口に出すことはありませんでしたが、心の中では、どこか アパレル業界人至上主義のような感覚が芽生えていたのです。

当時の自分は、完全にファッションに浮かれていました。

一緒に働いていた元モデルの同僚は、よく「ダサい」などと辛口な言葉を口にしましたが、その言葉に影響されるうちに、自分もどこか「特別な側にいる人間」なのだと錯覚するようになっていたのです。

服が好きでこの世界に入ったはずなのに、気がつくと、人を値踏みするような目を持ち始めていたのでしょう。

その頃のわたしの視野は、ずいぶん狭くなっていたと思います。

 

二人の先輩 】

バイト先には、二人の先輩アルバイトがいました。

ひとりは大学生で、店で一番長く働いている人です。

トラディショナルな服がよく似合い、ガチャガチャしたわたしとは対照的に、立ち居振る舞いのすべてがスマートに見えました。

アルバイトの扱いは基本的に厳しい店でしたが、彼だけは社員からも一目置かれ、大切にされていました。

それでいて、アパレル業界にありがちなエグ味のようなものは全くなく、優劣にも興味がない様子で、最初から後輩のわたしたちにも優しく接してくれました。

本来なら、こうした立ち位置を望んでいたはずだったのに、その頃はそこを目指そうとは思いませんでした。そして、彼は大学卒業とともに、皆に惜しまれつつも、職場を去っていきました。

もうひとりは、近所の老舗セレクトショップから移ってきた先輩でした。

背が高く、セレクトショップらしい“外した着こなし”がよく似合う人です。

最初は、わたしたちのような騒がしい年下アルバイトには、ほとんど興味を示さない様子でした。

けれど、少しずつ距離が縮まって、やがて普通に話をしてくれるようになります。

気がつくと、その先輩とモデルの彼、そしてわたしの三人は、スーツなどがメインのクロージング売り場の年長の社員に目を掛けてもらうようになっていました。

そして、ローテーションでその売り場に立たせてもらうようになったのです。

 

クロージングに立つ 】

クロージングの売り場には、ジャケットを着こなした、服好きのお客さんがよく来ていました。顧客対応はベテランの社員が担当し、わたしたちアルバイトは、その接客を支える役目です。

ふらりと立ち寄るお客さんには、わたしたちの担当で、できるだけ紳士的に接するよう心がけます。

丈直しのときには、首からメジャーを掛け、そしてジャケットの内ポケットから、モンブランのボールペンを大切そうに取り出します。そして、親指と人差し指で、少し神経質そうに丈の長さやアイテム名をサラサラッとお直し伝票に書きつけます。

格好や振る舞いだけは一人前

……ただ、いかんせん字がひどい、男子小学生のような汚い字なんですね。

これは、なかなか滑稽な光景だったと思います。

その後、わたしはカジュアルの服を売ることが多くなりますが、このクロージングの売り場に立った経験は、アパレルの仕事を続けていく上で、大きな自信になりました。

 

風呂屋とファッション 】

その頃のわたしは、まだ風呂のない部屋に住んでいました。

夜遊びをした日は、友人の家に泊めてもらったり、シャワーだけ借りたりして、なんとかやり過ごしていました。

ある夜、特に集まりもなく、豪徳寺駅前の風呂屋に寄って帰ることにしました。

格好はジャケットスタイルで、いつものように、ビシッと決めています。オールデンのローファーを脱ぎ、靴箱に入れて風呂屋に入ります。

そして、体を洗っていると、突然、後ろから怒鳴り声が飛んできました。

「水掛かってんぞ! バシャバシャやんじゃねぇ!」

振り向くと、小柄なオッちゃんが怒っていました。

予期しない怒号に驚き、「すみません」と謝ると、わたしは小さくなって体を洗い続けます。

ルールを守れていなかった自分も恥ずかしかったし、なにより、風呂場ではみんな裸です。

何も纏わない自分が、どれだけ世間知らずだったのか。裸のまま、思い知らされた気がしました。

身だしなみは大切です。

けれど、その頃のわたしは、洋服に飲み込まれていたのかもしれません。

中身は進化したどころか、余計なプライドだけが大きくなっていたのです。

風呂屋を出ると、夜の空気は刺すように冷たく、それが少しだけ心地よく感じられました。

おすすめの記事