1995|原宿「ニューウェーブと紡いでいく世界」
【 渋谷店のニッチブランド 】

渋谷店では、少し前から、とある国内ブランドを取り扱っていました。デザイナーは渋谷店のアルバイトと同郷の先輩で、わたしと同い年の人です。非常に落ち着いた雰囲気で、渋谷店のスタッフたちからも信頼されていました。

ビート・ジェネレーションを思わせるブランド名にも親近感を覚えました。ほかのストリートブランドのような爆発的な人気こそありませんでしたが、ビーズやディアスキンを取り入れたウェアや、品のあるアーシーなデザインなど、丁寧な服作りが印象的です。

当時、こうしたパーマカルチャーの世界観を持つカジュアルウェアは、ショップオリジナルがほとんどで、作りが粗く安価なものばかりでした。

しかし、このブランドはデザインだけでなく品質にもこだわっていて、わたしには、このジャンルを切り開いた先駆者のひとりに映りました。

このブランドはマイペースに制作を続け、わたしにも深く刺さることになりますが、それはまだまだ先の話です。

 

【 アップルコンピューター 】

周囲のストリートブランドでは、AdobeのIllustratorやPhotoshopを使って、プリントやワッペンのデザインを制作することが当たり前になり始めていました。

デザイナーの友人が多かった渋谷店の同い年の先輩は、彼らからIllustratorやPhotoshopの使い方を教わり、やがてグラフィックデザインを担当するようになりました。

デザインの現場では、Macintoshが標準機になっていました。 Power Macintoshにスキャナーやプリンターまでそろえると、100万円近い投資になります。

会社で購入するにも、かなり高額でしたから、結局、それらの機材はリースで導入されることになりました。

わたしも、展示会用の資料作りをするのに、先輩からIllustratorの使い方を教えてもらいました。

しかし、わたしがこのソフトで作るのは資料だけだったので、Illustratorでスキルが上がったのは、四角と線で枠を作り、文字入力をすることでした。

 

【 新しいアルバイト 】

ある日、渋谷店のアルバイトが近く実家に帰ることになり、店を辞めることになりました。

彼は終始、洋服屋というスタンスから距離を置いていたので、単に場所や仕事を変えるだけといった、ごく自然な流れでした。

ストリートウェアが盛り上がる中、そこに執着しない彼らしい選択で、何かから解き放たれているようにも感じました。

その後、代わりのアルバイトはすぐに決まりました。彼は洋服のよく似合う、スラッとした若者で、誰からも好かれるような、真面目でクセの無い優しい雰囲気です。

また、お店で取り扱っていたブランドが好きで、ある意味、ファンとして店に入ってきた最初のスタッフでもありました。

当時のわたしは、このムーブメントには、まだそれほど興味がありませんでした。

どちらかと言えば、インポートのセレクトや古着に興味があったからです。

しかし、わたしもまた、インポートセレクトのファンとして、この業界に入って来たワケです。

こうして、ファッション業界は流れを紡いでいくのだと思います。

 

【 ニューウェーブ 】

この新しい流れに対して、わたしがもともといたセレクトショップ界隈では、どこか歓迎していない空気が漂っていました。

当時のストリートブランドには、海外のアウトドアブランドやワークウェア、ミリタリーなどをモチーフに、独自の解釈を加えたアイテムが数多くありました。その背景を知らない若いファンが急速に増えていく様子に、複雑な思いを抱く人も少なくなかったのだと思います。

しかし、当初は一過性のブームとして見ていた人たちも、やがてその勢いを無視できなくなっていきました。

ブランドのデザイナーやオーナーたちは、本物のインポートブランドを深く掘り下げ、自ら着こなし、そのスタイルを雑誌で積極的に紹介していきます。その影響で、それまでセレクトショップだけのものと思われていた価値観は、ストリートという新しい文脈へ取り込まれ、ひとつの大きなカルチャーへと変わっていきました。  

こうして、時代はゆっくりとレイヤーを重ねていきました。

海外ブランドが切り拓いた道を、日本の新しい流れがブラッシュアップしながら、その価値観はメインストリームからニッチな領域に至るまで、広く浸透していったのです。

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