-1995|原宿「 夜遊びの行き先 」

原宿の事務所で寝泊まりすることが多かったわたしは、残業が無い日には友人たちと夜遊びに出掛けていました。振り返れば、クラブそのものが好きだったというより、飲んだ勢いで流れ着くように足を運んでいただけだった気がします。それでも、週に一、二回はどこかしらのクラブに顔を出していました。

 

【 YELLOWで聴く子守唄 】

当時は、芝浦のGOLDが一旦休止したタイミングで西麻布のYELLOWに行く機会も増えていました。

その多くは、知り合いのイベントに顔を出す流れになり、ひとしきり飲んだ後の夜の深い時間に、1、2時間、クラブ内をウロつくことが多かったです。

ここではズンドコズンドコとハウスミュージックが頭の中を巡りながら、ベロベロになったわたしが、事務所へ寝に帰る前に聴く、激しい子守唄でした。

 

【 再開のGOLDと3on3 】

この頃はGOLDも復活していました。何度か友人達と行きましたが、すでに新しい遊び場を開拓していたので、行く頻度はすっかり減っていました。

また、前回と違って、今の会社に入り、近い知り合いも多くなったこともあって、居場所も増えて、居心地も大分良くなっていました。

あるとき、GOLDで当時人気だったバスケットボールの3on3の大会をやるとのことで、わたしはGOLDチームとして駆り出されました。

わたしは高校生まで、なかなか本気でバスケに打ち込んでいたので、ちょっとは自信がありましたが、引退してから5年も経過していたので、どこまで動けるのか未知数でした。

また、GOLDチームは、わたしと、モデルの知人、あともうひとりは(確か)GOLDのスタッフの3人でした。

実際に試合が始まると、全然シュートが決まりません。リバウンドだけは役に立ち、ほか2人の力にも助けられて、なんとか2位入賞に漕ぎ着けることが出来ました。

まさかクラブで大汗かいて飛んだり跳ねたりすると思いませんでした。

 

【 仲間たちのイベント 】

また、友人たちと通っていたディスコクラシックスが流れるイベントは、西麻布から渋谷のJトリップバーに会場を変えて、定期開催をしていました。

これは渋谷界隈のアメカジ兄貴たちが企画したイベントで、わたしたちにとっては界隈の定例会のようなイベントでした。

唯一、ホームのように感じられるイベントでしたが、開催頻度は少しずつ減っていきました。

友人たちはその代わりになる場所を求めて、恵比寿にあるバーで月1のイベントを開催するようになりました。それは1年以上続いたと思います。このイベントでは、友人たちがつくる居心地の良さのようなものを感じていました。

 

【 ディスコの聖地とその終焉 】

ある日、友人たちと白金にあるダンステリアというクラブに行こうという話になりました。

ここはある意味、ディスコ時代の聖域が保たれているような場所で、往年のディスコファン達が集っていました。

馴染みの曲がかかると一斉に同じダンスをして、まさにサタデーナイトフィーバーな世界です。

その時は楽しかったですが、当時20代前半の若者たちが、一時的にこの聖域に足を踏み入れるのには、少し申し訳ない感じがしました。

このあたりを最後に、ディスコクラシックスの集いは極端に減っていきました。

ショップスタッフの友人たちは、外苑前にあったAPOLLOというクラブに通うようになっていて、わたしも誘われて何回か行きましたが、アウェイ感があって馴染めませんでした。

その後、友人の数人はテクノミュージックにハマり、一緒に遊ぶことが減っていきました。

 

【 洞窟という名のクラブ 】

会社のみんなは、渋谷にあるcaveというクラブにしょっちゅう通っていました。そこでは渋谷店の先輩もDJをしていたり、バーの周りでは社長をはじめ馴染みの先輩達が集まって、人気の立ち飲み屋のような状態になっていました。

ここには、沢山の業界人も集まっており、ちょっとした社交場になっていました。

わたしより下の世代も沢山集まるようになっていて、界隈の溜まり場みたいになっていました。

そんなある日、caveで遊んだあと、社長をはじめ数人で、近くに住む友人の家で飲み直そうということになりました。

その友人は近所のお店の店長で、歳は同じですが、業界も長くて原宿界隈では昔からの知人が沢山いました。

司会者でもやっていけるほど、仕切りが上手で、いつも会話の中心にいる人でした。彼とはその後、新天地で仲良くなりますが、それはまだまだ先の話です。

彼の家では、たわいの無い酔っ払いのグダグダ話で終わったと思います。

社長はそのまま寝てしまい、ある程度時間が経つと、ひとり帰り、ふたり帰り、そして、わたしも事務所に帰っていきました。

 

その後も、仲間に誘われれば流れ着くようにクラブへ向かいましたが、自分から足を運ぶことはほとんどなくなりました。

気づけば、夜遊びの中心にクラブがある時代は、わたしの中で静かに収束していきました。

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