
こんにちは、kengoloidことタカハシです。
ここからは、わたし自身のことを振り返りながら、生業だった洋服の話を多めに、そこで感じてきたことを、あれこれと綴っていきます。
まずは、幼少期の記憶から……
【 幼少期の銀座 】
いま思えば、この頃に感じていたことが、後のわたしのアパレルやファッションに対する価値観につながっているのかもしれません。
わたしは品川区の大井町に生まれ育ちました。
父は築地市場で仲卸の仕事をしていて、仕事が終わると銀座に立ち寄ってから家に帰るのが日課のような人でした。
父は、仕事が休みの日曜日でさえ、幼いわたしを連れて、よく銀座へ出掛けました。
そして、1970年代は高度成長期の真っ只中でした。
海外の情報が、それまで以上に日本へ入ってきて、日本全体が海外の文化にワクワクしていた時代だったのだと思います。
そんな銀座は、まさに海外の文化が息づく代表的な街のひとつでした。
銀座に行く前の日曜日の午前中、父は「素晴らしい世界旅行」や「兼高かおる世界の旅」といった旅番組を見るのがお決まりでした。
もちろん、わたしも一緒になって旅番組を見るワケですが、こうして海外の風景や文化に心をときめかせていました。
その合間に流れるバンナムのCMなんかも、海外への憧れをさらに掻き立てていたように思います。
【 銀座は身近な海外旅行 】
そんなテレビで海外の風景を見てから向かう銀座は、わたしにとって、ちょっとした海外旅行に行くようなイメージでした。
そして、銀座はわたしにとって、マンハッタンの街並みのように感じていました。
もちろん、その当時はマンハッタンなんて知りませんよ。
後になって、実際のマンハッタンの街並みを見たときに、「ああ、この感じだったんだなぁ」と気づいたわけですが……
毎週末に父が銀座へ連れて行ってくれたのには、別の理由もありました。
父が東銀座で馬券を買いたかったからです。
そのついでに、暇を持て余している幼児を外に連れ出していたワケです。
父が馬券を買っている間、わたしは近くの伊東屋か、松屋デパートの5階にあったおもちゃ売り場で待たされていました。
時には、ひとりで向かわされることもありました。
今だったら考えられませんが、そういう時代だったんですよね。
伊東屋には、見たこともない海外の文具や雑貨が並んでいました。
また、松屋デパートには、子どもながらに「なんだか大人の世界だなぁ」と感じるような、ハイソサエティな雰囲気がありました。
そんな銀座の街は、幼いわたしにとって、まさに海外旅行そのものだったのです。
父の用事が済むと、松屋デパートの地下にある蕎麦屋か、直久というラーメン屋で昼食を食べました。
たまに、同じフロアにあった小さな本屋でドラえもんの漫画を買ってくれたのですが、それがなんとも嬉しかったです。
そのあと、家で競馬のメインレースを見られる時間に合わせて、有楽町駅まで歩きます。
途中、日劇にデカデカと張り出されたハリウッド映画の手書きの看板もまた、異国情緒を感じさせるものでした。
たまに競馬のレースを見ない日は、SONYビルの地下にあるショップにも立ち寄りました。今でいうソニープラザの前身ですね。
ここにも海外の雑貨やお菓子がたくさん並んでいました。
その中でも、箱に「ZOO」と書かれた動物型のビスケットが大好きでした。
「たべっこどうぶつ」の元祖のようなお菓子で、これを買ってもらえるのが嬉しかったんです。
こうして振り返ってみると、わたしは子どもの頃から、見たことのないものや、知らないものに触れることが好きだったのかもしれません。
新しいモノに触れるとワクワクする。
その感覚をいまだに追いかけてしまうのは、こうした頃の記憶が影響しているのかもしれませんね。
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