
【 江戸っ子終了と浪人生活と 】
受験も追い込みといった高校3年生の12月、両親はわたしを連れて茨城県つくば市に引っ越しました。
ドーナツ化現象の煽りを受け、団塊世代の夢だったマイホームを、この地で手にしたわけです。
これで、わたしの江戸っ子としての経歴は、あっけなく幕を下ろしました。
成績が伸びないのを両親の引っ越しのせいにしながら、その年は、無謀にも有名大学1校だけを受験して、見事に玉砕しました。
こうして、つくばでの浪人生活が始まりました。
もちろん、この地には知り合いが誰もいません。まさに山籠り状態です。
自然ばかりの平野で、家から最寄り駅までは6キロの道のりです。そこで買ってもらったクロスバイクだけが、わたしの移動手段でした。
ある日、そのクロスバイクを走らせていると、道路の真ん中を歩く雉(キジ)を見かけました。
こんなに巨大でカラフルな鳥が普通に歩いていることに驚くと同時に、なぜか無性に東京が恋しくなりました。
【 引きこもり生活と自分磨き 】
つくばでの生活では、受験勉強以外にも、いろいろなものに触れるようになりました。
新しい実家が契約していた映画専門チャンネルとMTVを、暇さえあれば見ていました。
映画は、この1年間で体感1日2本以上で、700本以上は見たと思います。
これは「勉強しろ!」って怒られそうですね。
当時は「ぴあ」から映画カタログのような分厚い本が出ていて、それを片手に、白黒映画からウェスタン、ミュージカルまで、ジャンルを問わず、名作も駄作も、スタンプラリーを巡るように観まくりました。
流し観なんてのも多かったですけど……
今と比べれば、名作の数も知れていましたから、世代を超えて「観ていて当然」という映画がたくさんあったんですよね。
また、新潮文庫の海外文学を片っ端から読むようになったのも、この頃です。
都内に出るにも電車で片道1時間以上は揺られるわけですから、自然と読書量も増えていきました。
こうしたインプットのきっかけになったのは、親友から勧められた落合信彦の本でした。
【 落合信彦とアメリカ 】
落合信彦は、60年代に単身アメリカに渡り、マッチョな世界を渡り歩いたジャーナリスト兼作家です。
巨大なアメリカの闇を暴く実話や小説、そのハードボイルドな描写と、たびたび登場するスーパーマンのような日本人主人公に、わたしはすっかりドハマりしていました。
そんな本を読みながら、わたしが日本人として、アメリカと対等に立つ姿を夢見ていたのです。
たくさんある落合信彦の著書の中で、たびたびブルックスブラザーズを引き合いに出して、
「中身もないのにブランドものを着るな」というような話が、しつこいくらいに書かれていました。
本当は「ブランドに頼るな」という意味だったのかもしれません。でも当時のわたしは、「中身を磨くことだ!」と勝手に解釈しました。
夏はベランダでレゲエを聴きながら日焼けをし、夜はジャズを流しながら筋トレをして、果たして、これが本当に自分磨きだったのかは分かりません。
ただ、いつかブルックスブラザーズが似合う自分になりたいと思い、落合信彦の言葉を信じて、いろいろなことをやっていました。
【 大学と一人暮らし 】
翌年、わたしは大学に合格しました。
その大学は神奈川県生田にありました。
さすがに茨城県つくば市から通うのは無理ということで、世田谷区赤堤にある風呂無しの安アパートで、一人暮らしを始めます。
両親は学生時代に苦労した経験から、わたしにも苦学生の道を歩ませるべく、仕送りなしで全日制の大学へ通わせようとしました。
その結果、キャンパスライフどころではなくなり、複数のバイトに明け暮れる日々です。
さらに追い討ちをかけるように、「来年からは学費も自分で稼いで卒業しなさい」と言われました。
そこで、わたしは考えます。
「大学を辞めよう。そして、好きなことをしよう……」
20歳前の多感な時期に、苦学生なんて、なりたくありませんでした。
バブル期の後半に入っていましたが、まだまだ好景気。クラスで仕送りがない学生は、ほとんどいませんでした。
拘束時間の長い理系学科だったことも理由でしょう。
高校時代は、単位さえ取れば出入りも比較的自由な学校でしたから、大学のキャンパスライフそのものに、強い憧れがあったわけでもありません。
それに、大学に合格したこと自体が、わたしにとっては「お受験社会」へのアンチテーゼのようなものでもありました。
気がつけば、生活、時間、価値観……
そのすべてが、大学というシステムと噛み合わなくなっていたのです。
もちろん、生活が確保されていたら、大学に通い続けていたと思います。
【 いま好きなことを考える 】
大学を辞めると決めて、ふと将来を考えました。
一体、わたしは何が好きなんだろう。
そんなに考え込んでいる時間もありません。
目先にある、ワクワクすることは何か。
それは、ファッションでした。
高校時代から洋服に夢中になっていたことを考えれば、答えは意外と近くにありました。
こうして、あと先のことなど考えずに、この世界に足を踏み入れようと行動に移しました。
このときは、まさかその「好き」が、30年以上も関わる仕事になるとは思ってもいませんでした──
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