
【 店で流れる音楽 】
原宿の店には、CDプレイヤー付きのミニコンポが置いてありました。このコンポは、店内にあるBOSEのスピーカーに繋がっていて、営業中はCDで音楽を流しています。
BOSEといえば、当時は重低音に定評があり、音にこだわる人やお店が使っているイメージでした。わたしの周りでは、スピーカーといえばBOSEというくらい、存在感があったように思います。
この店ができて、わたしは初めてBOSEのスピーカーを体感しました。低音の効いた曲が流れると、ズンズンと響く振動が伝わってきます。音に無頓着なわたしでも、やはり違うなぁと感じます。
オープン当初、店に置いてあったCDは、S先輩が持ってきてくれたトム・ウェイツの『クロージング・タイム』と、ビートルズの『ラバー・ソウル』です。開店してすぐの頃は、この2枚ばかりが流れていました。
それから少し経つと、誰かがCDを持ってきて、お店で流すようになりました。
わたし自身、店で流す音楽にそれほど執着はなかったので、自分でCDを持ち込むことはほとんどありませんでした。
その代わり、音楽好きな後輩が持ってくるCDを楽しみにしていました。タワーレコードやHMVで試聴したものもあれば、わたしの知らないアルバムもあります。
こうして店で何度も聴いているうちに、気に入ったアルバムがあると、ちょいちょい買ったりしていました。
とはいえ、店で流れるのは海外のロックやポップスが中心だったので、BOSEの重低音が特に活かされていたかというと、そうでもなかった気がします……
【 わたしが聴いてた音楽 】
わたしの中では、店で聴く音楽と、プライベートで聴く音楽が完全にセパレートしていました。
当時のわたしは、周囲のグレイトフル・デッド熱に影響されて、初期のアメリカンロックを振り返って聴きたい気分になっていました。
まずはグレイトフル・デッドから始まり、共演していたボブ・ディランへ。さらに、ディランのバックバンドだったザ・バンドへと進みます。
ザ・バンドの解散コンサートに出演していたニール・ヤングや、C.S&Nなど……
芋づる式に、どんどんつながっていきます。
そんなロックの系譜をたどりながら、仕事終わりにはラフォーレ原宿の地下にあったHMVでCDを物色していました。気になったものを購入しては、移動するたびに聴いていました。
結局、フランク・ザッパに触れたあたりで力尽きてしまい、それ以降は、買い集めたCDを何度も聴き直すようになりました。
当時、渋谷にはアイコ・アイコというレコード店がありました。
渡米してしまったデッドヘッズの友人が教えてくれたお店で、グレイトフル・デッドのブートレグ音源をはじめ、アメリカンロックや、ジャムバンドと呼ばれる音楽のCD、カセット、レコード、グッズなどを数多く取り扱っていました。ジャムバンドという言葉は、当時のわたしはまだ知りませんでしたけど……
本当は、好きなアーティストの珍しい音源にも興味がありました。
ただ、基本となる作品もまだ聴き倒していないのに、いきなりその領域に触れるのは違う。そんな気持ちがありました。
結局、お店にはよく立ち寄っていたものの、珍しい音源を買うことはありませんでした。
好きなのに飛び込まず、いつも基本からと言っては、段階を踏みたがる……
良くも悪くも、これがわたしの性格ですかね。
【 グレイトフル・デッドのティーシャツ 】
同じ頃、高校生のときから通っていた渋谷の老舗アメカジショップに、グレイトフル・デッドのTシャツがたくさん入荷していました。
当時の店長かバイヤーの人が好きで、取り扱っていたそうです。後にも先にも、あれほどバラエティに富んだラインナップを見たことがありません。
わたしも何枚か買うことができました。
何年も気に入って着ていましたが、当時のジャストサイズだったので、今はもう手元にありません。いまでも、ワンサイズ大きいものを買っておけばよかったなぁと思います。
当時は、まさか太ってサイズオーバーするとは想像もしていませんでしたからね。
そんなことばかりです。
【 レニー・クラヴィッツ 】
原宿店がオープンしてしばらくすると、ほかにも店でよく流すアーティストがいました。
レニー・クラヴィッツと、当時、彼女と噂されていたヴァネッサ・パラディです。
ある日、女性の先輩が昼休憩から戻ってくると、急いだ様子でこう言いました。
「表参道にレニー・クラヴィッツが歩いてたよー」
どうやら、周囲の人たちも、気づいていなかったようです。
「クラヴィッツのCDを持って行ったら、サインしてくれるかなぁ」
そう言って先輩は、シーディーとマジックペンを手に、再び店を飛び出していきました。
しばらくすると、「どっか行っちゃったー」と言って戻ってきました。
それから数時間後、仲の良いスタイリストの先輩がお店にやって来ました。
さっそくレニー・クラヴィッツの話をすると、「え、ほんの数分前に、あそこのデザイナーズブランドにリースに行ってたけど、そこに来てたよ」と言います。
さらに、「プレスの人に言ってあげるから、タカハシくん、行ってくれば?」そう言って、そのブランドの人に電話をしてくれました。
すると、「大丈夫だって!」「まだ居るみたいだから、早く、早く」
あれよあれよという間に、わたしもそのブランドのプレスルームへ行くことになりました。
「すみませーん……」
恐る恐るプレスルームに入ると、男性スタッフが出てきて、
「もしかして……クラヴィッツ?」
と聞いてきました。
わたしがウンウンと頷くと、男性スタッフはニッと笑みを浮かべ、大きなテーブルに案内してくれました。
その右手には、低めのソファにどっしりと座り、大型のモニターに映し出されるブランドのコレクション映像を見ているレニー・クラヴィッツの姿がありました。
わたしはガン見しないように、眼球を可能な限り右に寄せながら、レニー・クラヴィッツの様子をうかがっていました。
すると、女性スタッフがお茶まで持ってきてくれました。
わたしは、何かの商談でも待っているかのように、じっと座っていました。
広いプレスルームには、わたしのほかに、スタッフが数名。レニー・クラヴィッツと仲間たちがいて、彼らの対応をしているスタッフもいました。
それぞれが静かに過ごしていて、ゆっくりと時間が流れていました。
10分くらい居たでしょうか。
わたしは対応してくれたスタッフの方にお礼を言って、お店へと戻りました。
今のわたしなら、きっとこんな行動はしないと思います。
そして、突然やってきたわたしを自然に受け入れてくれたデザイナーズブランドの寛容さも、当時ならではだったのかもしれません。
そんなアットホームな雰囲気が、原宿にあった時代でした。

