
【 マンハッタンポーテージ 】
日本に帰ってきて、またいつもの毎日に戻りました。
そんなある日、以前、事務所をシェアしていた先輩が、ひとつのバッグを持ってやってきました。それは、マンハッタンポーテージというバッグブランドの新型でした。
当時、マンハッタンポーテージはニューヨークのバッグブランドとして知られていました。
しかし、日本にはマンハッタンパッセージというバッグブランドがあって、(理由は分かりませんが)日本ではその名前を使って販売することができない時代でした。
先輩は、このブランドのオーナーと仲がよく、オーナーが好きだったカヤックをモチーフに、日本で販売するためのブランド名とタグを用意していました。
その新型は、大きめのリュックとメッセンジャーバッグを合わせたような、おにぎり型のワンショルダーでした。
このバッグは、原宿のお店でも仕入れて販売しました。新鮮な見た目だったこともあって、入荷すると、そこそこ売れました。
ただ、有名なマンハッタンポーテージが作ったバッグだとは、なかなか伝えられません。
そのこともあってか、もうひと伸びしませんでした。
いまでこそマンハッタンポーテージは普通に売られていますが、あのときのワンショルダーバッグは、街で見かけることもありません。
いまもリリースされているのかは分かりませんが、もし今、このときのネームが付いたバッグがあったら、それはそれで面白い気がします。
【 先輩の事務所 】
バッグを紹介してくれた先輩は、明治通り沿いにある、渋谷と原宿の中間あたりの大きなマンションの一室に事務所を借りていました。
当時、わたしの友人がそこで手伝いをしていたこともあって、わたしも時々、その事務所に顔を出していました。
先輩は並行輸入をしていて、この年の後半にエアマックス95の輸入で大忙しになる少し前の頃です。
事務所には、ナイキのスニーカーの箱が山積みになっていました。積み上げられた箱を見ているだけでも、なんだかワクワクします。
先輩はその横で、海外と電話でやりとりをしていました。
また、スニーカーの買い付けも、なかなか大変だったようです。
聞いた話では、並木橋にあったお店用にアディダスのキャンパスが大量に見つかったということで買い付けたところ、実際には似た型のガッツレーだった、ということがあったそうです。
結局、そのガッツレーはお店のスタッフたちがブリーチ加工をして、すべて売れたそうです。
その後、多方面で活躍するようになった人気スタッフたちが、自ら手を加えていたスニーカーというのも、なんだかレアなアイテムだったと思います。
【 師匠の事務所 】
仕事で関わる人たちの事務所を訪ねるのも、当時のわたしにとっては楽しみのひとつでした。
そんな並木橋のお店のオリジナルブランドは、わたしにパターンを教えてくれた師匠が作っていました。
当時、師匠は原宿の遊歩道裏に事務所を借りていて、わたしも時々、そこへ顔を出していました。
ウッディな内装の奥には、大きな画面のマッキントッシュが鎮座しています。
画面には、次に作るプリントデザインが映っています。
師匠がマウスを動かすと、カチリ、カチリとポインタが動いて、デザインの形が少しずつ変わっていきます。
師匠は寡黙な人だったので、わたしがたわいもない話を振っても、画面を見たまま作業を続けています。特に場が盛り上がるわけではありません。
それでも、なぜか居心地のいい空間でした。
また別の日に、S先輩と一緒に師匠の事務所へ行きました。
その日は、師匠がギターを弾いていました。
当時はMTVのアンプラグドが流行った少し後の時期で、わたしの周囲ではちょっとしたアコースティックギターブームがありました。
師匠はグレッチのビンテージギターで、エリック・クラプトンの『Tears In Heaven』を練習中でした。
練習中とはいえ、ワンフレーズを聴くだけで、なんだか贅沢な気持ちになりました。
こんな事務所で働きたいなぁ〜
そんなことを思いながら、蛍光灯とオフィス什器に囲まれた、わたしが働く、いわゆる「ザ・事務所」へ戻っていくのでした。
【 友人とギター 】
そんなふうに、人の仕事場や持ち物を見るのが好きだったわたしは、友人の家に遊びに行くのも好きでした。
ある日、表参道の裏路地にある、友人が働いているお店に立ち寄りました。
ここは、高校生時代から通っていたアメカジ系のセレクトショップで、他ではあまり見かけない独自の世界観を持った店でした。
渋谷時代の友人が何人か働いていたこともあって、わたしもちょいちょい足を運んでいました。
その頃、そこで働いていた友人は、大手セレクトショップから移ってきたばかりでした。
ある日、その友人が最近アコースティックギターを買ったという話になり、近いうちに家へ見に行くことになりました。
彼は実家暮らしで、詳しい場所は覚えていませんが、東東京の下町にありました。
下町風情のある木造の一軒家で、一階には秘密基地のような部屋があります。
当時のわたしは、実家がつくばにあって、たまにしか家に帰らない生活でした。
そんなこともあって、自分自身、物を所有するという感覚が、あまりなかったのだと思います。
人の家に遊びに行くと、その人なりのこだわりが見えて、いろいろな発見がありました。
彼は部屋の隅から、大事そうにギターケースを持ってきました。
中から出てきたのは、ギブソンのギターでした。
ピックガードには、キラキラと光る花とハチドリが施されています。ハミングバードというモデルだそうです。
今後、生産されなくなるかもしれないけれど、なんとか手に入れたんだと、彼は嬉しそうに話していました。
彼もギターを始めたばかりだと言っていましたが、弾いてみると、なかなかの腕前でした。
アコースティックギターの優しい音に聴き入りながら、ギターを上手に奏でている自分を、ぼんやり妄想していました。
【 赤いZo-3ギター 】
そんなことがあった数週間後、わたしは、お茶の水の楽器屋に行って、赤いZo-3ギターを買いました。
Zo-3ギターというのは、象の型をしたスピーカー付きの小さなエレキギターです。
一緒に、ボブ・ディランとニール・ヤング、それからオアシスの楽譜も買いました。
わたしは、「ギターをプレイするなら、チューニングはやっぱり音叉でしょう」と言わんばかりに、チューニング用の音叉まで買ってしまいます。
しかし、わたしは音痴でズブの素人です。
ペグを回し過ぎて、何度も弦を切ってしまいました。
これでは弦が何本あっても足りません。
結局、すぐにチューニング用の安い機械も用意して、弦を調整することになりました。
本当に合っているのかも分からないまま、ようやくランプの色がオールグリーンになると、その時点でもう、ひと仕事終えたような気になってしまいます。
そして、肝心の練習には、なかなか身が入りません。
いつか上手になるだろう……
そんなことを考えながら、しばらくギターを触ることはありませんでした。

