
【 求職活動とアウトドア店 】
いざ、自分の好きなコト、つまりファッション業界に入りたくても、なんのツテもありません。
そこで、わたしは街を歩きながら、自分の好きなジャンルのアパレル求人を探すことにしました。
しかし、働いてみたいお店は、だいたい時給750円か、それ以下です。
まだ大学の籍に未練があった頃なので、あわよくば、学生でありながら生活もしたい。そんなことを考えていました。
そのため、わたしの中での時給の最低ラインは800円でした。
そんな条件で探して、たどり着いたのが、神保町にあるアウトドアショップです。
もちろん、時給だけで選んだわけではありません。
わたしの中では、メンズアパレルの基本は、ミリタリーかアウトドアが原点にあると思っていました。
そこは、シェラデザインのマウンテンパーカーをはじめ、海外アウトドアメーカーの洋服も揃っているお店でした。
ただ、本格的なアウトドアショップでもあって、わたしが配属されたのは、寝袋やクライミングギアのフロアでした。
【 未熟者の選択 】
このアウトドアショップは、雑居ビルがそのままお店になったような作りで、何階建てだったかは忘れましたが、細い階段か、狭いエレベーターで上り下りするようなところでした。蛍光灯の飾らない店内に、ギアが所狭しと並んでいます。
商業臭がなく、実用性を重視した、素直な商品構成でした。
でも、当時のわたしには、そんなことに気付く余裕はありません。
ファッション目線で、このアウトドア専門店でアルバイトを始めてしまったものですから、ガチのお客さんにあれこれ質問されても、ポカーンです。
「シュラフって何?」
「ロープのおすすめ?」……知らん!
そんなレベルでした。
いま振り返れば、自分の未熟さに恥ずかしくなります。
でも、そんな態度になってしまったのには、当時のわたしの中に、登山を趣味にしている人に対する、つまらない偏見があったからだと思います。
親世代のニッカポッカに、山頂でオカリナを吹いている姿。
「山男には惚れるなよ」と、みんなで合唱しているようなイメージ。
そんなものを、どこかで見下していた自分がいました。
ところが、実際にアウトドアのプロショップで働いてみると、登山に対する視座も、技術も、経験も、知識も、わたしにはまったく足りませんでした。
それどころか、そこに向き合う姿勢そのものが、彼らの足元にも及びません。
わたしは、そんな自分に腹が立ちました。
ただ、アパレルのフロアで働けないのであれば、自分の目的とは違う。
そうやって勝手に理由をつけて、1か月ちょっとで辞めてしまったのです。
結局のところ、虚勢を張ったまま逃げてしまったのだと思います。
当時は、それすら自分ではよく分かっていませんでした。
それから20年後。
わたしは低山をたくさん登ることになり、山を趣味にする人たちに、敬意と、少しの憧れまで持つようになりました。
そんな自分になるとは、当時のわたしには想像もできません。
あの頃のわたしには分かりませんでしたが、あの1か月ちょっとも、決して無駄ではなかったのだと思います。
ここは、そんな意味でも、ひとつの分岐点だったのかもしれません。
【 覚悟の職探し 】
わたしは再び、アパレルの求人を探し始めました。
この頃の愛読誌は、もっぱらフロムエーというアルバイト探しの雑誌でした。
店舗に貼られている募集は時給が安いものばかりなので、もうチェックすることもなくなりました。
そうは言っても、アパレルの求人はとても少なく、選り好みをしたら、何も決まりません。
そこで、フロムエーに出ているアパレル求人には、積極的に応募してみようと思いました。
当時、フロムエーで求人掲載の常連だった山本寛斎のアルバイト募集にも応募しました。
結果は、あっさり不採用です。
まぁ、服飾専門学校生と違って、わたしには何のスキルもありませんからね。
落ちて当然です。
そんな中、二つのセレクトショップの募集が目に留まりました。
ひとつは渋谷にあるトラディショナルな大手セレクトショップ。
もうひとつは、原宿にあるストリート寄りの大手セレクトショップです。
正直、この求人を見たときはビビりました。
というのも、自分が本当に採用されるとは思っていなかったからです。
自信がなかったのも理由のひとつです。
でも、それ以上に、ここで将来が決まってしまうことが怖かったからです。
当時のわたしは全日制の理系大学1年生でした。
平日をアルバイトで潰せば、進級どころか、大学を続けること自体が難しくなります。
とはいえ、アパレルのバイト先で、「夕方から働きたい」とか「週末だけ働きたい」なんて通用しない時代でした。
好きなことをするというのは、それなりに代償も伴うわけです。
それでも、わたしは両方に履歴書を送りました。
【 面接そして念願のアパレル業界へ 】
最初に返事が来たのは、トラディショナルなセレクトショップでした。
面接日程が決まり、わたしは当時、千駄木にあった本社オフィスへ向かいました。
このお店には、高校時代の店巡りで何度も足を運んでいました。
当時は、サークルの大学生御用達だったのはもちろん、浅野ゆうこブームや紺ブレブーム前のアイビー人気の影響もあって、いつもお客さんで賑わっていました。
そのため、じっくり商品を見るような雰囲気ではなく、さらっと見て帰るだけのお店でした。
この時点では、ここの商品構成が何たるかも、よく分かっていません。
10代のアメカジ少年には、まだまだ分かりづらい世界だったと思います。
そんな薄い知識から、なんとか脳みそをフル回転させて、全力で面接に挑みました。
洋服への想いや、服に見合うべく中身を磨いていること。自分なりに、洋服が好きだということも精一杯伝えました。
それが響いたのか、響かなかったのかは分かりません。
でも、わたしはそこで働くことになりました。
数週間したある日、もうひとつのショップからも面接の連絡がきました。
でも、すでに職場が決まったことを伝え、丁重にお断りしました。
この順番が違っていたら、また違う未来があったのかもしれません。
人生とは、分からないものです。
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