1984-1987|品川「中学生と学生服文化」

中学生になりたてのわたしは、ファッション目線から言えば、とっても縁遠い方向へ進んでいった時期かもしれません。

とはいえ、この期間に夢中になったことは、のちにビンテージ古着のディテールを掘り下げたり、独自で何かを発見して、それを面白がる現在へと繋がっています。

いま振り返ると、この頃に夢中になったことも、後の自分に何かを残してくれていたようです。

 

【 不良ファッションの目覚め 】

わたしが住んでいたところは、小学校の通学エリアとしては端の方に位置していました。

そんな離れ小島のような登校班には、たまたま学校でも力のあった先輩がたくさん住んでいて、彼らの影響で、早い時期から少年野球のチームに入ったり、先輩達と一緒に町内の旅行に行ったりして、その関わりの中で、ひとつふたつマセた情報を教わりました。

そんな先輩達が中学へ進学すると、ある先輩はモコモコしたパーマになっていたり、またある先輩は眉毛が無くなっていたりと、安定の昭和不良に仕上がっていました。

わたしが地元の中学校へ進学を控えたある日、先輩から呼び出されると、「これを穿いて入学式に出ろよ」って渡された学生ズボンは、ワタリ40cm以上もあるドカン(土管のように太いパンツ)でした。

さすがに、親に買ってもらった学生服を着ないで入学式を迎えるほどグレてはいなかったので、その時は丁重にお断りしました。

しかし、地元の先輩達に敬意や憧れを抱いていたこともあって、これをキッカケに、少しずつ不良ファッションの世界に興味を持つようになったのも事実でした。

 

【 校則と反発 】

中学に入学してすぐの頃は、なめ猫や横浜銀蝿で若者に不良を煽る一方で、ドラマ「3年B組金八先生」や「積み木崩し」で大人達に不良化を怖がらせるものだから、先生達は新入生の不良化にピリついていました。

当然、反抗期を迎えた中学生達は、先生が校則で縛ろうとすればするほど、対抗心に火がついてしまいます。

手始めは、標準のベルトから、ビニールで編んだベルトに乗り替えることでした。

編みベルトや極端に細いベルトは校則違反です。

高学年が付けている綿の編みベルトも禁止されていましたが、こちらの方がちょっと悪い感じがして、カッコよく映りました。

ただ、それは少しだけ値段が高いのと、先輩への忖度もあって、わたしはビニールの編みベルトを買うことにしました。

やはり不良の世界は縦割り社会なので、出過ぎた真似はしないのがマナーでしたからね。

そのビニールの編みベルトは、大井町駅前にあるヤワタヤという、昭和のドン・キホーテみたいなお店で売っていました。

ベルトを買いに行った時も、そして、そのベルトをして初登校したときも、先生に見つかる怖さと同時に、大人と対等に張り合おうとする自分に、なんだかワクワクしていました。

もちろん、このベルトは速攻で先生に見つかり、こっぴどく怒られました。

それでもめげずに、不良ファッションの道を進んでいくのです。

 

【 中1の工夫 】

中1の小遣いは、小学生に毛が生えた程度です。

そんな学生でも楽しめる、ツッパリ仕様の改造がありました。

例えば、学生服の丸い金ボタンを少し潰して平たくしたり、その裏ボタンを「愛・羅・武・友・ハートマーク」と一文字ずつ書かれた裏ボタンに付け替えたり。

校章やバッジ類は外し、学帽もかぶらず、カラー(襟の代用みたいなパーツ)は中ラン用に付け替えました。

ほかにも、姉からの影響で学生鞄をペタンコに改造しましたが、学生鞄は持っていかなくても良かったので、改造しただけに終わりました。

 

【 はじめてのボンタン 】

一年の夏休みが終わった頃に、近所の先輩からボンタンを譲り受けました。

ボンタンの気合い度は、おもに3つのポイントがあります。

ワタリの太さと、ハイウェストの高さ、そしてタックの数です。

最初のボンタンは、近所の不良の御用達だった京浜蒲田の学生服店、ヤングのオリジナルで、いわばボンタンのエントリーモデルです。

ワタリは33cm。体の大きなわたしにとって、これはほぼ標準服です。

ハイウェストも1cmあるかないかで、申し訳程度に切り込みが入っています。

タックはワンタック(一本)で、これも標準服と一緒でした。

しかし、ボンタンの基本は押さえてあって、垂直のポケット、通称「縦ポケ」に、ヒップポケットの片側だけフラップが付いています。

反対のポケットには「YOUNG」と書かれたピスネームが付いていて、後ろのベルトループはバッテンになっていました。

これは確実に校則違反です。

ついに禁断の果実を口にしたワケです。

とはいえ、遠目だと普通なので、自分しかわからない反抗です。

中1にとって反抗は蜜の味。

このパンツを穿いているだけで、ワクワクした気持ちがいっぱいでした。

 

【 夏服やスニーカー 】

夏服は、白い半袖シャツですが、不良はやっぱり開襟シャツです。

なぜだか、ここには規制が入らず、張り合いは無かったです。

とはいえ、標準から外れるのは特別感があっていいですね。

また、足元は白い靴が校則となっていましたが、ここは別の色の靴を履こうとは思いませんでした。

濃い色の靴は真面目そうに見えたし、派手なスニーカーだと小学生みたいでしたからね。

校内では、コンバースのオールスタータイプか、トップサイダー風のデッキシューズで人気が二分していました。

地元では、ブランドリテラシーが低いのと、消耗が早いとの理由で、商店街の靴屋で売っている似たようなスニーカーがほとんどです。

その中でも、デッキシューズ型を紐無し、踵を潰して穿いている男女諸先輩方が多くて、これが最適解だと思っていました。

一方、ガチの先輩は、赤靴下に白メッシュ地のオジサン靴でした。

ただ、思春期のハートも持ち合わせていたわたしには、そこに食指が伸びませんでした。

 

【 中ランとセミラン 】

中2になる春休み、卒業した先輩から中ランを譲り受けました。

裏地は紫ベースの玉虫色で、いかにも悪そうな感じです。

襟は4cmと少し高くて、袖の金ボタンは実際にボタンホールが使えて、3個付いています。

ただ、袖の肘部分や腰部分が少々シェイプしており、戦後の番長感が少しだけしていました。

しかし、それを凌駕するくらい中ランの存在は大きくて、嬉しい1着でした。

ところが、新3年生になるひとつ上の先輩に、この中ランを1年間譲ることとなり、2年生で中ランを着ることはありませんでした。

代わりに、成長して学生服が小さくなったと親にねだって、京浜蒲田のヤングでセミランを新調します。

セミランというのは、標準服と中ランの間に位置していて、袖にある2個の金ボタン(標準服も2個)がボタンホール式になっています。

ボックスシルエットで、着丈も少しだけ長めです。

親の金で買うので、先生に取り上げられたら困ってしまいます。

そのため中ランは避け、セミランを選びました。目立った違いは、袖のボタンホールだけです。でも、たったこれだけの仕様が特別に思えて、心躍るのでした。

こんな細やかな抵抗でも、心地よいものです。

 

【 ボンタンの遍歴と不良熱の終焉 】

中学生の成長は早いもので、身体に合わせてボンタンも新調していきました。

最終的に、ツータックでワタリ38cmのボンタンへと落ち着きます。

サブの1本は、大井町のヤワタヤで買った、太めの片玉ブチのヒップポケットが付いた応援団仕様です。

応援団目線で学生服を掘る人はいなかったので、自分的には気に入っていました。

しかし、この頃になると、すっかり不良への憧れも薄まっていました。

先生達とも仲良くなって、部活中心の生活です。

最終的には、登校は部活のジャージとロンパンという、少しゆったりした白の短パン姿になっていました。

また、中学3年になると、先輩から中ランも戻って来て、中ラン、ボンタン、ベルトは綿のメッシュベルト、足元はデッキシューズが正装となりました。

まあ、普段は短パンなので、ほとんど出番はありませんでしたが。

もう、先生に指導されることもありません。

放任されると、逆に熱が冷めるのでしょう。

学校生活も好き勝手に伸び伸びやっていましたから、不良や反抗という概念すら手放していました。

一方で、1年生の時につるんでいた友人は、茶髪のパーマ姿になり、長めの中ランと極太でハイウェストのボンタンを穿いて、我が道を進んでいました。

わたしの学年はスポーツが強かったので、完全に棲み分けされ、互いに空気のような存在になっていました。

いま思えば、彼は彼なりの筋を通した学生生活を送っていたのだと思います。

 

【 オリジナル 】

京浜蒲田のヤングで配布された学生服のカタログには、極端に太いボンタンや長ラン、中ランが掲載されていました。

でも、わたし自身は、こうしたエクストリームな格好にはあまり興味が出ませんでした。

一見すると分かりづらいスペックに、中学生ながらの侘び寂びを感じて、そこが楽しかったのだと思います。

経済的な理由や上下関係への忖度など、いろいろな制限がある中で、自己解釈と工夫でバランスを考える。

振り返ってみると、こういうところは、いまの自分のファッションの見方にも、どこか繋がっているような気がします。

不良ファッションを遡れば、ロカビリーの流れもありますが、地元では独特の進化を遂げていました。

オリジナルを知らないがゆえに、ハイブリッドな文化が芽生えることもあるワケで、その進化する様が楽しかったりします。

いまでこそ、原点を突き詰めてから崩していくのが、わたしの定石です。

でも、この頃のわたしは、そんなことを知る由もありません。

ただ、周りにあるものを見ながら、自分なりにちょっとずつ変えていく……

それが面白かったのだと思います。

次回は、オリジナルなんてほとんど知らないまま、感覚だけで着飾っていた、カオスな中学生時代の私服について触れたいと思います。

 

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