1994|原宿「遊びと美学の路地裏」
【 同僚のスタイリスト 】

同時に仕事をはじめたスタイリストの同僚(先輩)は、本来なら原宿店で一緒に働く予定でした。

しかし店はまだまだ暇で、渋谷店の先輩が頻繁に原宿店へ来てくれていたこともあって、代わりに彼が渋谷店に立つことになりました。

ある日、彼が久しぶりに原宿店に入った時のことです。

彼は店に置いてある雑誌を広げ、掲載ページをチョキチョキと切り抜きはじめました。

そしてそれを厚紙に貼り付けます。

さらに彼は、記事と同じ商品が掛かっているハンガーに、それを添えていました。

「この服、雑誌に載ってますよ」

そんな、ちょっとしたPRです。

正直、わたしはその光景を見て驚きました。

雑誌の記事を使ってお客さんにアプローチするのは、どこか不特定多数に向けた戦略に感じたからです。

ショップの空気やレイアウトを壊す行為にも見えました。

けれど後で社長がそれを見ても、特に気にする様子はありません。

そして、その商品は早速売れていました。

もちろん本人も、そんなことはまったく気にしていません。

彼にとっては自然なことだったのでしょう。

それは、彼が雑誌のスタイリスト目線で考えていたからで、掲載の力を信じていました。

むしろ、載っているのなら、それを活かさない手はない。

そういった感覚です。

一方わたしは、レイアウトひとつにも厳しかったショップスタッフの感覚でした。

でも俯瞰して見れば、あれはイメージを伝える合理的な方法です。

売れる可能性も確実に上がります。

周囲の目を気にせず、思ったことをすぐ形にする。

その強さこそ大切なのだと、身に沁みて分かりました。

何かしら成し遂げている人は、きっとこういう人たちです。

彼はすでに、その資質を持っていました。

わたしも、もっと早く気付けたら良かったと思います。

まぁ、そればっかりはどうしようもありませんけどね。

 

【 ベーゴマブーム 】

その頃、原宿店ではベーゴマが流行りはじめていました。

きっかけはもう忘れてしまいましたが、近所にあった“発信地”的な店の人たちが、

「いま、ベーゴマがヤバイよ!」

と持ち込んできた遊びだったと思います。

気がつくと、店の片隅にはベーゴマ用の床、いわば“戦場”が置かれていました。

渋谷店の先輩、その店の人たち、近所のトイショップのスタッフ、さらにたまたま店に立ち寄った知人まで巻き込んで、ベーゴマバトルが始まっていました。

わたしの地元では、ブリキや木製のコマは流行ったものの、なぜかベーゴマだけは流行りませんでした。

だから最初は、紐の巻き方から教わる始末です。

けれど実際に回してみると、思ったより簡単でした。

ただ、回せることと、勝てることは別問題です。

勝負になると、わたしは負けてばかりでした。

そんな中、ブームの中心にいた発信地ショップの先輩(オーナーの同級生)が、ベーゴマのカスタムを始めます。

彼はカスタムハーレー乗りでもあったので、その感覚をベーゴマにも持ち込んだのでしょう。

削って軽量化し、重心を落とし、弾きやすくする。

改造はどんどんエスカレートし、気がつけばそのベーゴマは異様な強さになっていました。

いま振り返ると、あの頃の原宿には、遊びに対しても本気で工夫する人たちが多かった気がします。

服も、バイクも、ベーゴマも。

全部、同じ熱量でしたね。

そんなベーゴマブームも、しばらくすると自然に落ち着いていきました。

ひとしきり遊び尽くした人たちは、また別の新しい遊びを探しはじめ、

そして街は、いつもの日常へ戻っていきました。

 

【 バイカーのお店 】

ある日、渋谷店の先輩がやって来て、

「ちょっと近所の店に行くから付き合って」

と言いました。

どこへ行くのかも分からないまま付いていくと、原宿のもう一本裏にある遊歩道を、少し表参道方向へ進んだ右手に、プレハブの建物がありました。

いくつかの店が入った、古い建物です。

その一階にある店の前には、骨董品のようなハーレーが置かれていました。

先輩は迷いなく、その店に入っていきます。

レジには若いスタッフが立っていて、先輩と何か話をしていました。

店内には数型のオリジナルTシャツと、バイカーシェードをはじめ、ウェアやグッズが並んでいます。

さらにバイカー関連のVHSまで置かれていて、近くのブラウン管テレビでは、ハーレー乗りの映像が流れていました。

しばらくすると、先輩とスタッフの人が店の前へ出てきました。

そして、そこに置かれたバイクの前で立ち話を始めます。

このハーレーが、どのようにチョップドされたのか

ギアやシートの位置

タンクへのこだわり

わたしは原チャリ程度しか乗りませんから、正直さっぱり分かりません。

それでも、その美学の奥深さに、聞いているだけで「なるほどー」と頭を大きく縦に振ってしまいます。

結論、とんでもなく乗りにくいバイクであることだけは、間違いなさそうです。

でも、そんな手塩にかけたジャジャ馬だからこそ、愛着も湧くのでしょう。

いつの間にか、そこはバイカーたちの集合場所になっていました。

 

【 ストリートブランド 】

その頃、渋谷店では、とあるブランドが人気でした。

元々そのブランドは、カリフォルニア発のスケーターブランドという触れ込みでスタートしていたと記憶しています。

当時はDCブランドが落ち着き、インポートブームが台頭していた頃です。

海外ブランド信仰への偏見を払拭するには、面白いアプローチだと感じました。

今のように情報がすぐ広まってしまう時代なら、こうしたシャレも通用しません。

ある意味、あの時代ならではだったと思います。

もっとも、このブランドのファンは背景を知っていたので、設定はすぐに消えてしまいましたが……

それまでの日本ブランドは、縫製が綺麗で、どこかフラットな印象でした。

しかしストリートブランドやレプリカブームの流れの中で、カジュアルシーンにおける日本の縫製レベルは、一気に上がったと感じます。

そして縫製だけでなく、コンセプトの立て方も相当緻密になっていきました。

こうして、わたしのようなインポート信者でさえ、少しずつ飲み込まれていったのでした。

 

【 ファックスオーダー 】

すでに渋谷店では、そのブランドの入荷があると、お客さんが列を作って買いに来ていました。

オーダーはファックスで行われます。

まだメールもありませんでしたからね。

物撮り写真は郵送で届くものの、オーダー用紙は簡素な絵型と、素材や色、サイズなど最低限の情報だけです。

しかも、1店舗のオーダー上限も決まっていました。

そのため毎回、先輩たちは渋谷店の小さなレジ台の上で、

「ああでもない、こうでもない」

と頭を捻らせながら、サイズや色のバランスを考えていました。

当時、ストリートブランドの多くはこうしたファックスオーダー方式でした。

実際の商品を見るタイミングが、お客さんとほぼ同時です。

だからこそ、接客のライブ感というか、ワクワクする感じも共有できて、買い物する側も売る側も楽しい時代だったと思います。

展示会のように細かい情報を事前に伝えるのも良いとは思います。

けれど、半分くらいブラックボックス化していた当時のようなオーダー手法が、また増えてほしいなとも感じています。

しかし、そんな思いとは裏腹に、今は展示会ベースのブランドが主流です。

おそらく予算獲得や売上見込みが立つことで、合理化が加速していったのでしょう。

結局、ブランドに勢いがないと難しいシステムなのかもしれませんね。

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