
【 小学生の流行 】
小学生時代の流行りは、「内輪ノリ」と「自分の好き」を行ったり来たりしながら、伝播していきます。
テレビに出ている人や、兄や姉、影響力のある先輩、そしてイケてる同級生。そういう人たちが身につけているものが、少しずつ周りに広がっていくんですよね。
メディアから入ってくるものと、身近なところから生まれる流行が、うまく混在していたワケです。
【 まずは脱ランドセル 】
ウチの小学校では、例えば「脱ランドセル」なんてのもありました。
学年が上になるにつれて、ランドセルの代わりに、キャンバス地のショルダーバッグを持つのが流行っていました。
ブランドは特に決まっていませんでしたが、暗黙のルールとして、斜め掛けは優等生らしくてNG。ベルトを長くして、片側に掛けて持つのがクールとされていました。
この「脱ランドセル」は、自立心を芽生えさせるキッカケでもありましたね。
わたし自身、脱ランドセルは早かったですが、すこしだけ大人になった気がして嬉しかったです。
若いうちは、背伸びをして身につけるアイテムって多いですよね。
【 スポーツソックスブーム 】
ほかにも、大人気だったのがスポーツソックスです。
わたしの中では、70年代のアメリカ、例えばサンタモニカでローラースケートをしているようなイメージがありました。当時の人気アイドルも、この流れを汲んでいたはずです。
こうした影響もあって、白いハイソックスは「爽やか」の代表みたいになっていました。
さらに、スポーツができるというのも、小学生男子のヒエラルキーを決定付ける要因でしたから、下半分が裏パイル地で、上半分がライン入りのリブ編みになっているスポーツソックスは、爽やかさとスポーティさを併せ持つ最強アイテムでした。
その代表的なブランドがアシックスです。
これは、クラスの半分が履いてたんじゃないか?ってくらい、浸透していました。
わたしは、姉の影響でラッセルのラインソックスを好んで履いていましたが、これはリブ編み部分が短くって、爽やかさが際立っているように感じたんですよね。
【 運動神経の良い先輩 】
流行りの火付け役は、大体がイケてて運動神経の良い先輩です。
アシックスの靴下はもちろん、アディダスのTシャツや、スニーカーの流行りも、まさに先輩の着用で流行りはじめました。
たぶん、それを身につけて、「運動神経あるオーラ」に、あやかろうとしたのでしょう。
アディダスのTシャツは、胸いっぱいにグラデーションになったトレフォイルマークとロゴがプリントされたものが人気でした。
【 アシックスタイガー 】
そして、ハイソックス、Tシャツと来たら、足元はスニーカーです。
その中で、ダントツに人気だったのが、アシックスタイガーのボストンというモデルです。
これは、月星のジャガーやジャガーシグマを卒業した中・高学年の小学生男子が、こぞって履いていました。
当時のアシックスはアメリカの都市名のモデルが多くて、紺色のボストンは、もはや高学年の標準靴のような状態です。
ただ、他のモデルを履いている人もいて、「あいつはミネソタ履いてる」とか、「誰々がネバダ買ったね」
「先輩でニューヨーク履いてる人いるよ」
など、みなスニーカーにはしっかりアンテナを張っていましたね。
この経験は、のちのわたしのスニーカー好きに繋がっているのだと思います。
今と違って、発売期間は長いですから、ひとつひとつのモデルと向き合う時間が長いんですよね。
トゥの形状やアッパーの素材、ソールやミッドソール、そしてカラーバリエーションにも詳しくなりました。
まぁ、アシックスは今まさに巷で流行ってますが、人気なのが分かります。
当時っぽいアシックスを履いている人を見ると、「おっ、いいね!履いてみたいなぁ」って思います。
【 小学生時代のスニーカー遍歴 】
わたしがはじめて履いたスニーカーは、小学校2年生の時に買ってもらった、紺色のアディダスのスニーカーでした。
ソールはアディダスのマークが敷き詰められたモデルで、有名なモデルではありませんでしたが、これをきっかけに、わたしのスポーツブランド熱が加速していきます。
次に買ったのが、プーマのスニーカーです。
ちょうどマラドーナがブームの頃で、ブルーにオレンジ色のマークが入ったスニーカーです。
V字のデコボコしたスパイクのようなガムソールがカッコ良かったのですが、道端で犬のウンチを踏んでしまったりすると、取るのがとても大変でした。
犬のウンチ、めちゃくちゃ落ちてましたからね。
他にも、近所の大井町阪急デパートにはミズノのショップが入っていたので、放課後にそこのスニーカーコーナーを見に行くこともありました。
当時、世界最軽量と謳っていた、ブルーに銀色のMのマークが入ったスニーカーが欲しくて、親にねだって買ってもらったこともありました。
本当にこのスニーカーは軽かったですが、元気な小学生には、軽いから楽とか、タイムが云々とかありませんから、小学生のわたしには、あまり意味のないスペックでしたね。
【 帰国子女とナイキ 】
ある日、わたしの近所に同じ歳の男の子がアメリカから引っ越して来ました。
外で遊んでばかりいるわたしと違って、大人しくて頭も優秀な人でしたが、黄色と緑のド派手なスニーカーを履いていました。
そのスニーカーは、おそらくナイキのオレゴンワッフルだったと思います。
そのインパクトが強かったので、わたしもナイキというブランドにとても惹かれました。
ナイキのスニーカーは、銀座の松屋デパートの2階に沢山売っていて、松屋に行くたびに、そのスポーツ売り場でスニーカーを見るのが好きでした。
最初は、日本企画のエキデンレーサーという、ブルーにシルバーのマーク(スウォッシュ)が入ったスニーカーを買ってもらって、気に入って履いていました。
しばらくして、白と黒のコンビに赤いスウォッシュが入ったテラというモデルがお店に並んでいました。
このスニーカーだけ当時の価格で19,000円もして、小学生のわたしには高嶺の花です。
ある日、白い部分がより真っ白な同じモデルが登場していて、値段は半額くらいでした。
おそらく、高いのがアメリカ企画で、その後、日本企画が発売されたのでしょう。
わたしは親に頼み込んで、日本企画のテラを誕生日プレゼントで買ってもらいました。
本当にこのスニーカーは気に入っていましたね。
【 キャプテン翼による転換期 】
わたしが小学生の高学年になると、『キャプテン翼』の連載がはじまっていて、校内ではちょっとしたサッカーブームになっていました。
キーパーの若林くんがかぶっていたアディダスのキャップはもちろん、ジャージの上下が流行り出して、ジャージのパンツは膝下までロールアップをした小学生が爆増しました。
そのまんまの色やデザインを着ていると、「マネしてるんだろ」と突っ込まれるし、入手も難しかったのか、そのあたりは忘れましたが、みな違ったモデルやカラーで工夫をしていました。
さらに変化があったとすれば、靴下の勢力図が塗り変わったことです。
いままで校内を席巻していたアシックスのラインソックス1強の時代から、膝下で折り返すアディダスのサッカーソックスに人気は二分されました。
また、独特の幾何学模様が入ったモルテンのサッカーボールは、ちょっとしたステイタスシンボルになっていて、ネットに入ったボールをポンポンと蹴りながら、また、「ボールは友達」と言わんばかりに、ドリブルをしながら登下校する輩が増えました。
【 小学生最後のスニーカー 】
いよいよ6年生の後半になって、わたしは小学校の指定靴のように流行っていたアシックスのボストンを買いました。
一般的には、男子はネイビーにシルバーのマーク、女子や一部の男子は赤にシルバーのマークのものを履いていて、そのほかのカラーは存在していないと思っていました。
ある日、日本橋のデパートで、白にメタリックブルーのマークが入ったボストンが売っていて、そのニューカラーを狙っていました。
わたしは誕生日にそのボストンをゲットして、はじめてのアシックスタイガーを履きました。
この頃から、みんなと一緒はイヤだったのかもしれませんが、結局、大人気のボストンが欲しかったのかもしれませんね。
ボストンのミッドソールには、クッション性を高めるために穴が空いているのですが、ほとんどの人は3つ穴が空いています。
しかし、わたしのボストンは、サイズが大きかったので、4つの穴が空いていました。
ひとりデカ足みたいで恥ずかしかったですが、外履きとして下ろす前に、クンクンとおニューのスニーカーの匂いを嗅ぎながら、小学生時代のスポーツブランドブームを堪能するのでした。
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