1993-1994|原宿「パターンと師匠、そしてピチTと」
【 パターンを習う 】

渋谷にある新しい事務所には、週に数回、経理の人が出社するくらいで、生産をお願いしている先輩がいる以外、人の出入りはほとんどありませんでした。

その先輩は、日本を代表する服飾学校を卒業していて、デザインも生産も熟知したプロフェッショナルでした。

わたしは洋服の学校で学んだ経験もなく、ショップ店員として多少の現場経験があるだけで、これといった明確なスキルを持ち合わせていない。そんな自分は大きなハンデを背負っていると感じていました。

先輩が事務所でパターンを引いている姿を見ていると、洋服の設計図を書けることが、とても格好良く見えました。

だから、隙間時間に教えてください、と無理なお願いをしました。

先輩は寡黙な人で、超がつくほど現実主義です。

「意味ないから、やめときな」

そう言いながらも、何度も懇願すると、しょうがないなぁ……という感じで教えてくれました。

まずは、先輩が通っていた学校の基本だという、1/4パターンを教わりました。

けれど結局、上手く引けたのか、筋があったのか、無かったのか。何も分からないまま、2回くらい教わっただけで、ほかの仕事も忙しくなってしまい、この計画は終わってしまいました。

それでも、わたしは今でもその先輩を、この世界の師匠だと思っています。

その後もわたしは無理なお願いばかりして、そのたびに現実的な正論で諭されながらも、最後には結局、師匠はわたしの頼みを受け入れてくれるのでした。

 

【 ピチTブーム 】

春を前にして、謎の商品が入ってきました。

それは、ありえないほど小さなTシャツで、低学年の小学生が着ているようなサイズです。

色はブルーやピンク。グレーのボディもありました。

白やグレーのボディには、優しいブルーのプリントや、シルバーのプリントが施されています。

知り合いの輸入業者から仕入れていた商品だったので、きっかけは付き合いで入れたのかもしれません。

ところが、それが予想外に売れていきました。

わたしが着たら、ヘソ出しどころか腹出しTシャツで、何かのコントみたいです。

わたしはそれを「ピチT」と呼んでいましたが、世間では「ピタT」や「チビT」と呼ばれていました。

当時の人気俳優たちが、こうしたピッタリした服を着て、中性的なファッションで人気を博しており、原宿ファッションのメインストリームとして盛り上がりはじめていました。

原宿のお店は、特にその波に乗ろうとしたわけではありません。

けれど流れに押されるように、オリジナル商品も小ぶりな洋服が自然と増えていきました。

また、スタイリストが作るブランドも始動しはじめていて、ダブルカフスの袖を折らずに着るようなタイトシルエットのシャツは問い合わせも多く、人気商品になっていました。

 

【 黒いレッドウィング 】

少し前に、大手セレクトショップが渋谷公会堂の近くに大きな店を作りました。

そこに配属になった友人から、数ヶ月後、新しく入荷する商品の情報を聞きました。

それは、白ソールのプレーントゥのブーツで、黒のカーフバージョンが出るという話でした。

元々、白ソールのプレーントゥは、濃い茶色のガラスレザーがオリジナルです。

(厳密に言うと似たようなモデルが過去にありますが)

ビンテージ好きの人が、どのモデルよりも気に入って履いている型でした。

その話を渋谷店の先輩にしたら、

「それヤバいじゃん!」

となり、今度は先輩がモデルの後輩に話し、そこから影響力のある知り合いの耳に入り、結果、そのセレクトショップには大量の予約が入ったと聞きました。

もちろん、わたしもその靴を購入し、気に入ってよく履いていました。

ただ、いかんせんソールの減りが早く、長く愛用することはできませんでした。

 

【 師匠の退陣 】

ある日、オリジナルの生産をしてくれていた師匠が、抜けることになりました。

並木橋にあるセレクトショップの経営者が、師匠の友人になったことで、彼と一緒の会社で生産を手伝いたいというのです。

確かにその店の商品構成は師匠のテイストに合っていましたし、ウチのオリジナルはモードやトラディショナル、ストリートと幅が広かった分、テイスト外の制作も手掛けなければならない。

職人堅気な師匠としては、それが正しい道に思えました。

それまで、オリジナルの範疇を越えた気の利いたデザインが多かっただけに、離れてほしくない気持ちもありました。

けれど、師匠の方向性も見てみたかったので、楽しみでもありました。

その後も、わたしの想いなど関係なく、直感的にカッコいいと感じる商品を次々と輩出し、あっという間に有名ストリートブランドとして開花していきますが、それはちょっとだけ先の話です。

そして師匠は代わりに、学校時代の同級生を紹介してくれました。

その人は、わたしより10歳年上で、こちらが思っていた以上に貫禄のある人でした。

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