
【 はじめてのペペロンチーノ 】
当時のわたしは、つくばの実家から通っていたこともあって、夜に予定が入ると、誰かしらの家に泊めてもらうしかありませんでした。
その中でも、特に頻繁に泊めてもらっていたのが、前職場でフランスのブランドに出向していた友人の実家です。たぶん、わたしの人生で最も数多く泊まった「他人の家」だと思います。
その頃の彼は、先輩のスタイリストのアシスタントになっていて、心身ともに忙しい毎日を送っていました。
わたしもまた、新しい環境に飛び込んだばかりで、どこか似た境遇だったと思います。
仕事終わりに合流して、時には友人たちとクラブへ遊びに行き、時には居酒屋で将来の夢を語り合う。
そんな日々が、当たり前のように続いていました。
彼の実家に泊まったある日のことです。
翌日はふたりとも休みで、昼近くまで彼の部屋で眠っていました。
昼頃になって、もぞもぞと起き出した彼は、
「今から飯作るから、食おうぜ」
そう言って、キッチンへ向かいました。
しばらくして出てきたのは、具の入っていないパスタでした。
きつね色になったニンニクと、散りばめられた鷹の爪だけ。
それがペペロンチーノだということを、わたしはその時はじめて知りました。
パスタのことを、何でもスパゲッティと呼んでいた時代から、まだ数年しか経っていません。
わたしがカルボナーラを知ったのも、せいぜい1、2年前のことです。
そんなわたしが、彼の作ったそれを口にした瞬間、驚きました。
シンプルなのに、なんて美味しいんだ。
香ばしいニンニク。
程よい塩味。
そして、ふんわりと漂う甘み。
そのすべてに、心を奪われてしまったのです。
今でも時々、あの味を思い出して自分で作ることがあります。
けれど、なぜかあの時のようには、うまくいきません。
その友人は現在、ミニマルなアパレルブランドを立ち上げ、長く成功を続けています。
こういうところにも、彼のセンスは滲み出ていたのだと思います。
【 フランスの大学教授 】
同じように、帰れない時に頻繁に泊めてもらった家が、もうひとつありました。
それが、当時四ツ谷に住んでいた、フランスの大学教授の家です。
教授はわたしよりひと回りも年上でしたが、なぜだか下っ端のわたしにも優しく接してくれました。
会うたびに声を掛けてくれて、何かと気にかけてくれる人でした。
教授は社長をはじめ、職場のスタッフや周囲の先輩たちとも仲が良く、そのきっかけは、モデルの先輩がパリコレでパリに滞在していた頃に、紹介を受けたことだったそうです。
ある日、社長とスタイリストの先輩がパリへ買い付けに行った時のこと。
モデルの先輩の紹介で、教授とパリの空港で待ち合わせをしました。
すると教授は、とんでもない数の巨大なトランクケースを持って現れたそうです。
人気セレクトショップの社長と有名スタイリストが、ポーターよろしく、それらを空港内で運ばされることになったそうです。
「なんで買い付けに来てまで、荷物運びさせられてるんだ?」
出会ったばかりのはずなのに、そんな話がすぐに語り草になっていました。
【 もうひとつのペペロンチーノ 】
教授が日本に戻って来ている時は、よく四ツ谷の家で食事会が開かれました。
仕事終わりに、職場の先輩たちやモデルの先輩、友人、師匠まで集まり、教授が料理を振る舞ってくれるのです。
四ツ谷の家は、古くからある分譲マンションで、メゾネットになったモダンな部屋でした。
教授は、自分には貴族の称号があると言っている人で、美意識にはいつも細かく気を遣っていました。
料理を作る間、CDデッキからはオペラが流れています。
食事の合間には、教授がダビドフの太い葉巻を燻らせながら、優雅に佇んでいる。
その横でわたしたちは、ワインを何本も空けながら、勝手に盛り上がっていました。
教授は、そんな下々の会話を、どこか満足そうに眺めているのでした。
品の良い料理が次々と運ばれ、最後にメインとして出てきたのが、イタリア仕込みのペペロンチーノでした。
同じ材料のはずなのに、それは友人の作るそれとは、明らかに別の食べ物でした。
一番の違いは、パスタの茹で加減です。
アルデンテという言葉では足りないほど、固く茹でられていました。
噛むと、口の中でプチッと弾ける。
先輩たちも笑ってしまうほどの固さでしたが、教授はそれこそ大切なのだと言わんばかりに、
「美味しいうちに、早く食べたまえ」
そう言いました。
確かに、この固さは不思議とクセになります。
味も衝撃的でした。
オリーブオイルの新鮮な風味に、ニンニクの香りが品よく立ち、唐辛子のメリハリある辛さがたまりません。
オイリーなパスタが、これほど美味しいものだとは、はじめて知りました。
その後も教授のペペロンチーノをいただく機会がありましたが、毎回同じ感想が込み上げてきたので、あの味は本物だったのだと思います。
【 四ツ谷の真夜中散歩 】
教授宅での集まりも、真夜中が近づくと、ちらほら帰りはじめます。
最終的に残ったのは、教授と渋谷の先輩、そして泊めてもらうわたしの三人でした。
すると教授が、ふいに言いました。
「今から、散歩に行こう」
三人はテクテクと、四ツ谷駅近くから四ツ谷三丁目あたりまで、地元の人しか通らないような民家の路地を歩きました。
途中、古民家に囲まれた空間があって、その真ん中には小さな池がありました。
先には階段があり、それを上ると、閉店後の真っ暗な万世が現れます。
昭和の匂いが残るノスタルジーと都会の静寂が合わさった、不思議な場所でした。
さらに進むと、花街の名残を感じさせる荒木町の長屋が立ち並び、脇の小道を抜けると、一軒のバーに薄っすらと電球が灯っていました。
都会の真ん中に、こんなレトロな街並みが残っている。
そう思うだけで、一日の疲れがすっかり消えてしまうような、素敵な時間でした。
小一時間ほどで家に戻ると、先輩はそのまま帰っていきました。
しばらくすると、外が少しずつ明るくなってきました。
低音量のオペラが流れる中、メゾネットの二階へ上がると、教授が言いました。
「窓の外を、見てみたまえ」
そこには、先ほど散歩した古い街並みが、朝の顔をして眼下に広がっていました。

