1994|原宿・六本木「“自分”を持っている人たち」
【 デッドヘッズ 】

いつものように、渋谷の先輩と近所のショップに遊びに行きました。

今日も入荷が無く、ヒップスターなスタッフは、相変わらず落ち着きはらった雰囲気で店立ちをしていました。

彼はアメリカのビックバンド、グレイトフルデッド(以下デッド)の追っかけ、いわゆるデッドヘッズでした。当時のわたしはグレイトフルデッドの存在こそ知っていたものの、どんなバンドなのかは、ほとんど知りませんでした。

彼と先輩はグレイトフルデッドの話題で盛り上がっていました。その会話の合間に、彼はデッドがどんなバンドなのかを、わたしにも分かりやすく教えてくれました。そこには全くマウントを取る感じもありません。それは、本当に好きという気持ちの表れでした。

早速、わたしはCDを買ってグレイトフルデッドの曲を聴きました。ワイルドなCDジャケットとは違い、その音楽は軽快なのに、まろやかで、どこか懐かしいアメリカンロックです。

わたしはすっかりデッドのファンになってしまいましたが、そのバンドの魅力は、想像していたよりも、ずっと奥深いものでした。

それを、先輩と彼は語り合っていたのでした。

 

【 3店合同企画 】

原宿店は、まだまだゆっくりとした時間が流れていました。

そんなある日、原宿の発信地的ショップと、師匠が加わった並木橋近くのセレクトショップ、そしてウチの店の3店で、コーチジャケットを作ることになりました。

白いボディに、背中には三猿をモチーフにしたプリントです。

正直、そのときの自分には、「もっと売れそうな柄があるんじゃないか」と思えました。

でも今になって思えば、ああいう少し変わった試みの積み重ねが、店の空気やブランドの強みになっていくのだと思います。勢いのある時代だからこそ、自由な企画には独特の熱がありました。

発売が始まると、ジャケットは驚くほどの勢いで売れていきました。

小さいサイズだけ少し残ったものの、それも数日後には完売です。

あの2店の求心力は、本当に凄かったと思います。正直、当時のウチは、まだ“そちら側”に振り切れてはいませんでしたからね。

けれど、あの頃の原宿には、フツフツと湧き上がる熱がありました。

そして、それはまだ始まりに過ぎませんでした。

【 1周年イベント 】

ある日、そのショップの1周年イベントが、六本木の巨大な箱で開催されました。

オーナー自身が有名DJだったこともあり、また大御所DJたちも数多く参加していて、会場はとんでもない熱気に包まれていました。

わたしは、こうした世界のイベントに行くのは初めてでした。

スケーター、パンク、ヒップホップ、バイカー。

ジャンルはバラバラなのに、そこに集まっている人たちは皆、“何か”を極めているように見えました。

会場の熱量に圧倒されながら、自分だけが薄っぺらく感じました。

ファッションが好きで、この世界に入り、界隈ではそれなりに人脈も増えていました。

でも、そこで気づいてしまいました。

ファッションは、お金や知識があれば、ある程度の場所までは行ける。

けれど彼らは、文化や音楽や生き方の延長として、そこに立っています。

服は、その“結果”としての存在です。

同世代やもっと下の世代まで集まる中で、わたしは妙に焦っていました。

【 自分について 】

翌日になれば、またいつもの毎日が始まります。

それでも、あの夜に感じた焦りやモヤモヤだけは、どこか遠くに残り続けていました。

ある日、原宿店で社長と2人きりになる時間がありました。

わたしは、その気持ちをどうにも整理できず、思い切って打ち明けました。

「周りはみんな、自分を持っている人ばかりなのに、僕、自分が無いんですが……

どうしたら良いでしょう?」

相手が答えようのない、ずいぶん漠然とした相談です。

でも、あの頃の自分には切実でした。

すると社長は

「え? 俺も自分無いよ」

と、サラリと言いました。

拍子抜けするくらい軽い返事だったのに、不思議と、その瞬間に気持ちが軽くなりました。

でも、待って下さいよ。

社長は、周りがどんな格好をしていても、ひとりだけヤングエグゼクティブみたいな服装をしていました。

流される感じが、一切ありません。

どう見ても、“自分を持っている側”の人です。

それなのに、「俺も自分無いよ」返されてしまいました。

その時、ふと

「そんなもんなのかもしれないなぁ」

何故だか救われた気がして、肩の力が抜けて行くのでした。

 

【 自分の道 】

自分はいったい何が好きなのだろう……

この問いは、しばらくわたしに付き纏いました。

そんなある日、高校時代の同級生がお店に遊びに来てくれました。

そんな彼との何気無い会話から、わたしの道は、はっきりと示されました。

それは、およそ流行とは言えないジャンルでしたが、わたしの立ち位置は明確になったのです。

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