
【 デッドヘッズ 】
いつものように、渋谷の先輩と近所のショップに遊びに行きました。
今日も入荷が無く、ヒップスターなスタッフは、相変わらず落ち着きはらった雰囲気で店立ちをしていました。
彼はアメリカのビックバンド、グレイトフルデッド(以下デッド)の追っかけ、いわゆるデッドヘッズでした。当時のわたしはグレイトフルデッドの存在こそ知っていたものの、どんなバンドなのかは、ほとんど知りませんでした。
彼と先輩はグレイトフルデッドの話題で盛り上がっていました。その会話の合間に、彼はデッドがどんなバンドなのかを、わたしにも分かりやすく教えてくれました。そこには全くマウントを取る感じもありません。それは、本当に好きという気持ちの表れでした。
早速、わたしはCDを買ってグレイトフルデッドの曲を聴きました。ワイルドなCDジャケットとは違い、その音楽は軽快なのに、まろやかで、どこか懐かしいアメリカンロックです。
わたしはすっかりデッドのファンになってしまいましたが、そのバンドの魅力は、想像していたよりも、ずっと奥深いものでした。
それを、先輩と彼は語り合っていたのでした。
【 3店合同企画 】
原宿店は、まだまだゆっくりとした時間が流れていました。
そんなある日、原宿の発信地的ショップと、師匠が加わった並木橋近くのセレクトショップ、そしてウチの店の3店で、コーチジャケットを作ることになりました。
白いボディに、背中には三猿をモチーフにしたプリントです。
正直、そのときの自分には、「もっと売れそうな柄があるんじゃないか」と思えました。
でも今になって思えば、ああいう少し変わった試みの積み重ねが、店の空気やブランドの強みになっていくのだと思います。勢いのある時代だからこそ、自由な企画には独特の熱がありました。
発売が始まると、ジャケットは驚くほどの勢いで売れていきました。
小さいサイズだけ少し残ったものの、それも数日後には完売です。
あの2店の求心力は、本当に凄かったと思います。正直、当時のウチは、まだ“そちら側”に振り切れてはいませんでしたからね。
けれど、あの頃の原宿には、フツフツと湧き上がる熱がありました。
そして、それはまだ始まりに過ぎませんでした。
【 1周年イベント 】
ある日、そのショップの1周年イベントが、六本木の巨大な箱で開催されました。
オーナー自身が有名DJだったこともあり、また大御所DJたちも数多く参加していて、会場はとんでもない熱気に包まれていました。
わたしは、こうした世界のイベントに行くのは初めてでした。
スケーター、パンク、ヒップホップ、バイカー。
ジャンルはバラバラなのに、そこに集まっている人たちは皆、“何か”を極めているように見えました。
会場の熱量に圧倒されながら、自分だけが薄っぺらく感じました。
ファッションが好きで、この世界に入り、界隈ではそれなりに人脈も増えていました。
でも、そこで気づいてしまいました。
ファッションは、お金や知識があれば、ある程度の場所までは行ける。
けれど彼らは、文化や音楽や生き方の延長として、そこに立っています。
服は、その“結果”としての存在です。
同世代やもっと下の世代まで集まる中で、わたしは妙に焦っていました。
【 自分について 】
翌日になれば、またいつもの毎日が始まります。
それでも、あの夜に感じた焦りやモヤモヤだけは、どこか遠くに残り続けていました。
ある日、原宿店で社長と2人きりになる時間がありました。
わたしは、その気持ちをどうにも整理できず、思い切って打ち明けました。
「周りはみんな、自分を持っている人ばかりなのに、僕、自分が無いんですが……
どうしたら良いでしょう?」
相手が答えようのない、ずいぶん漠然とした相談です。
でも、あの頃の自分には切実でした。
すると社長は
「え? 俺も自分無いよ」
と、サラリと言いました。
拍子抜けするくらい軽い返事だったのに、不思議と、その瞬間に気持ちが軽くなりました。
でも、待って下さいよ。
社長は、周りがどんな格好をしていても、ひとりだけヤングエグゼクティブみたいな服装をしていました。
流される感じが、一切ありません。
どう見ても、“自分を持っている側”の人です。
それなのに、「俺も自分無いよ」返されてしまいました。
その時、ふと
「そんなもんなのかもしれないなぁ」
何故だか救われた気がして、肩の力が抜けて行くのでした。
【 自分の道 】
自分はいったい何が好きなのだろう……
この問いは、しばらくわたしに付き纏いました。
そんなある日、高校時代の同級生がお店に遊びに来てくれました。
そんな彼との何気無い会話から、わたしの道は、はっきりと示されました。
それは、およそ流行とは言えないジャンルでしたが、わたしの立ち位置は明確になったのです。

