1994|渋谷・原宿「服の向こう側」
【 ネイティブアメリカン 】

学生時代から90年代前半というのは、インディアンジュエリーが安定して流行っていた頃です。

わたしも例外ではなく、シルバーのバングルなどを身につけていましたが、ある映画との出会いをきっかけに、その興味は少しずつ薄まっていきました。

その映画とは、実家で契約していた映画専門チャンネルで何度も見た映画、「サンダーハート」です。

バル・キルマー演じるFBI捜査官が、ネイティブアメリカンの居留地で起きた事件を追う中で、自らのルーツと向き合っていく物語です。

なぜだか、わたしはこの映画に強く惹かれました。そして、放送されるたびに繰り返し見ていました。たくさんの映画を配信しているこのチャンネルの中で、このようなことは初めてです。

当時、雑誌では顔立ちのルーツを分類するような特集がよく組まれていて、わたしは決まって「モンゴリアン」分類されていました。

その真偽はともかく、この映画を見続けるうちに、モンゴルから北米、そして南米へと続く民族の移動の話に、自分もどこか繋がっているような気がして来ました。

そんな思い込みも手伝って、わたしはネイティブアメリカンに関する本を読み漁るようになりました。

すると、わたしの興味は、次第に彼らの精神性や自然観へと移っていきました。

こうして、インディアンジュエリーを身につけようといった気持ちが減っていきました。

格好良さに憧れて近づいた世界でしたが、装飾品よりも、その奥にある考え方のほうに惹かれていたからです。

 

【 コムデギャルソン 】

ある日、渋谷店の先輩から、

「今季のコムデギャルソン、やばいから見に行こう」

と誘われました。

DCブランドブームを少しだけかじったわたしですが、その後のインポートブームにすっかり夢中になってしまい、この頃にはデザイナーズブランドへの興味はほとんど失っていました。

むしろ、熱心なファンにとっては一種の「聖域」のような存在に見えていて、軽い気持ちで近づいてはいけないジャンルだと思っていました。

それでも先輩に誘われ、ふたりで渋谷西武B館のコムデギャルソン・オム プリュスへ向かいました。

しかし、シーズンが始まったばかりでしたが、店内に商品はわずかしか残っていませんでした。

その中で先輩が見せたかったのは、縮絨ウールのシリーズでした。

何度も洗い込んだようなシワと歪み。

ふんわりとした柔らかさ。

粗野なワークウェアの雰囲気を持ちながら、不思議とウール本来の上品さも失われていません。

服というより、ひとつの作品を見ているようでした。

さらに印象的だったのは、商品脇に置かれたイメージフォトです。

そこには痩せたモデルではなく、小太りの中年男性たちが写っていました。

当時のファッション写真としては意外な存在感でしたが、その姿が妙に格好良かったのです。

服そのものだけではなく、

「誰が着るか」

「どう見せるか」

それらを含めてデザインされていることを、初めて意識した瞬間だったかもしれません。

この体験で、デザイナーズブランドに対するわたしの見方は大きく変わりました。

縁遠いデザインされた服ではなく、自分たちのワークスタイルや日常の延長線上にも存在できる服なのだと想像できたからです。

 

【 黒いレッドウィング(その2) 】

当時のわたしは、黒いレッドウィングをヘビーローテーションで履いていました。

その存在を知ったのは、友人のスタイリストアシスタントが履いていたからで、それは並木橋にあるセレクトショップでしか売っていないとの情報でした。どうやらイギリス企画のレッドウィングだそうです。

上部は黒くてハイカットのアイリッシュセッターとなっていて、黒いスーパーソールという聞き慣れないソールを履いています。

わたしも、その友人に倣って並木橋にあるお店に買いに行きました。

実際にこのブーツを履いてみると、当時のNIKEのエア以上にフワフワです。

ドクターマーチンをはじめて履いた時も、そのソールのフワフワさに感動しましたが、これは明らかにそれ以上のクッション性能でした。さらに良いのが、ソールの減りの遅さです。

わたしはこのブーツにすっかり感動し、この頃は毎日のように履いていました。

結局、わたしが好きなものは、実用性とファッションが重なっているものだと感じます。

 

【 服の向こう側 】

若い頃のわたしは、着飾ることそのものにファッションの楽しさを見出していました。気分があがりますからね。

けれど、興味の対象は少しずつ変わっていきました。

ネイティブアメリカンの文化に惹かれた時には、その精神性に。

コムデギャルソンに触れた時には、服の向こう側にある思想に。

そして黒いレッドウィングには、実用性と美しさが両立する面白さを感じていました。

わたしは服そのものよりも、その背景にある価値観や生き方に興味を持ち始めていたのでしょう。

けれど、人は一度見つけた価値観だけでは満足できないことがあります。

だからまた別の世界に興味を持ったり、別の価値観に触れたくなります。

わたしにとってファッションとは、新しい価値観と出会うための入り口のようなものです。

だから今でも、ファッションは面白いのでしょう。

旅は続きます。

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