
【 はじめての展示会準備 】
営業担当になって最初の展示会が近づいてきました。
準備の中心は、展示会用のスワッチ(カタログ)や商品に付ける札(フダ)作りです。
当時は、まだ事務所にパソコンすらありませんでしたから、枠線を引いた台紙にハンコをペタペタ押しながら、品番や品質表示、カラー名を入れていきます。
例えば「YELLOW」という文字も、一文字ずつ活字を組み合わせて押していたため、そのたびに組み直しが必要でした。
だから、「YEL」と「LOW」の間隔が少し違ったり、文字がわずかに傾いたりすることもあります。
商品の絵型も同じで、コピー機でサイズを調整しながら一点ずつ切り抜き、台紙へ貼り付けていきました。
いま思えば気が遠くなるような作業ですが、当時はそれが当たり前でしたから、特別大変だとは感じていませんでした。
展示会が近づくと、サンプルがギリギリまで上がってこないことも珍しくありません。
突然の修正や仕様変更は日常茶飯事で、そのたびに切って、貼って、ハンコを押してを繰り返していました。
結局、はじめての展示会準備は当日の明け方まで続きました。
一緒に作業をしていた新しい生産担当のKJさんも、別の仕事で朝まで掛かっていました。
朝の5時、すべての作業が終わると、
「風呂でも浴びに行こうか?」
KJさんはそう言って、千駄ヶ谷のサウナへ連れて行ってくれました。
熱い湯に身体を沈めると、不思議と疲れがほどけていきます。
徹夜で重くなっていた身体も少し軽くなり、展示会へ向かう気力が戻ってくるのでした。
【 オリジナル 】
当時の展示会商品は、まだ50型にも届いていませんでした。
社内にはグラフィックデザインを制作する環境がなく、プリントTシャツなどもほとんど展開していなかったからです。
展示会場に並んでいたのは、シャツやニット、カットソーといったベーシックなアイテムが中心でした。
有名ブランドの雰囲気を参考にしながらも、日常着として着やすいようにアレンジした商品や、定番のアイテムに少しだけ配色を加えたり、生地を切り替えたりした商品も多かったと思います。
これらの商品は、どれも派手さはありませんでした。
けれど、不思議と使いやすい服が多かったように思います。
それは、当時はまだ競合ブランドも少なく、無理に個性を打ち出さなくても十分に成立する時代だったからでしょう。
しかし、その中に自分が心から着たいと思う服は、ほとんど見当たりませんでした。
その理由が縫製なのか、生地なのか。
あるいはデザインなのか、カルチャーなのか。
その頃の自分にはまだ分かりません。
ただ、どこかに自分の求める服があるような気がしていました。
そして、その答えを探し始める入口に、わたしは立っていたのです。
【 展示会 】
そして、いよいよ展示会が始まりました。
会期は火曜日から金曜日までの4日間。
およそ40件ほどの取引先が来場します。
前日まで明け方近くまで準備に追われていましたから、疲労はピークでした。
それでも商品が並び、最初の来場者が会場に姿を現すと、不思議と気持ちは引き締まっていきました。
当時のブランドは、トラッドからストリートまで幅広いテイストを提案するショップオリジナルブランドでした。
会場には、ストリート系ショップのバイヤーもいれば、海外デザイナーブランドを扱うセレクトショップのオーナーもいました。
地方で長く店を続ける個人商店の店主が来ることもあります。
同じ商品を見ても、皆まったく違う視点で評価していたのです。
ただ、一つ共通していたことがあります。
それは、オーナーや事業の責任者自らが展示会に足を運んでいたことです。
いまよりもファッションとビジネスが直結していなかった時代です。
その分、それぞれの店が、自分たちの色や世界観を大切にしていました。
有名ショップのオーナー、いまならインフルエンサーと呼ばれるような人たち。あるいは長年業界を見続けてきた経験豊富な方々。
展示会は、そんな人たちが、その当時に何を見て、何を感じ、何を選ぶのか、それを知る貴重な機会でもありました。
渋谷や原宿だけでは分からない、日本各地のリアルな売り場の声がそこにはありました。
会場では商品を手に取りながら、
「これは何色が動きそうかな」
とか
「このパンツとセットでいこうか」
そんな質問が飛んできます。
わたしはまだ経験の浅い若手営業でしたが、皆さん真剣に話を聞いてくれました。
そして、その答えを参考にしながら注文書へ数字を書き込んでいきます。
「そんなので本当に大丈夫だったのだろうか」
と思う場面もあります。
それでも注文が入るたびに、
「ああ、本当に商品が売れていくんだな」
と実感したことを覚えています。
展示会場で注文書に数字が書き込まれるたび、わたしは地方のショップの力を少しずつ知っていきました。
いま振り返れば、売り方に一貫性の無かった贅沢な時代だったのかもしれません。
多くの店がそれぞれの感覚で商品を選び、多くの人が自分たちの世界観を信じて商売をしていました。
わたしもまた、その時代に育ててもらった一人なのでしょう。
