
【 同僚のスタイリスト 】
同時に仕事をはじめたスタイリストの同僚(先輩)は、本来なら原宿店で一緒に働く予定でした。
しかし店はまだまだ暇で、渋谷店の先輩が頻繁に原宿店へ来てくれていたこともあって、代わりに彼が渋谷店に立つことになりました。
ある日、彼が久しぶりに原宿店に入った時のことです。
彼は店に置いてある雑誌を広げ、掲載ページをチョキチョキと切り抜きはじめました。
そしてそれを厚紙に貼り付けます。
さらに彼は、記事と同じ商品が掛かっているハンガーに、それを添えていました。
「この服、雑誌に載ってますよ」
そんな、ちょっとしたPRです。
正直、わたしはその光景を見て驚きました。
雑誌の記事を使ってお客さんにアプローチするのは、どこか不特定多数に向けた戦略に感じたからです。
ショップの空気やレイアウトを壊す行為にも見えました。
けれど後で社長がそれを見ても、特に気にする様子はありません。
そして、その商品は早速売れていました。
もちろん本人も、そんなことはまったく気にしていません。
彼にとっては自然なことだったのでしょう。
それは、彼が雑誌のスタイリスト目線で考えていたからで、掲載の力を信じていました。
むしろ、載っているのなら、それを活かさない手はない。
そういった感覚です。
一方わたしは、レイアウトひとつにも厳しかったショップスタッフの感覚でした。
でも俯瞰して見れば、あれはイメージを伝える合理的な方法です。
売れる可能性も確実に上がります。
周囲の目を気にせず、思ったことをすぐ形にする。
その強さこそ大切なのだと、身に沁みて分かりました。
何かしら成し遂げている人は、きっとこういう人たちです。
彼はすでに、その資質を持っていました。
わたしも、もっと早く気付けたら良かったと思います。
まぁ、そればっかりはどうしようもありませんけどね。
【 ベーゴマブーム 】
その頃、原宿店ではベーゴマが流行りはじめていました。
きっかけはもう忘れてしまいましたが、近所にあった“発信地”的な店の人たちが、
「いま、ベーゴマがヤバイよ!」
と持ち込んできた遊びだったと思います。
気がつくと、店の片隅にはベーゴマ用の床、いわば“戦場”が置かれていました。
渋谷店の先輩、その店の人たち、近所のトイショップのスタッフ、さらにたまたま店に立ち寄った知人まで巻き込んで、ベーゴマバトルが始まっていました。
わたしの地元では、ブリキや木製のコマは流行ったものの、なぜかベーゴマだけは流行りませんでした。
だから最初は、紐の巻き方から教わる始末です。
けれど実際に回してみると、思ったより簡単でした。
ただ、回せることと、勝てることは別問題です。
勝負になると、わたしは負けてばかりでした。
そんな中、ブームの中心にいた発信地ショップの先輩(オーナーの同級生)が、ベーゴマのカスタムを始めます。
彼はカスタムハーレー乗りでもあったので、その感覚をベーゴマにも持ち込んだのでしょう。
削って軽量化し、重心を落とし、弾きやすくする。
改造はどんどんエスカレートし、気がつけばそのベーゴマは異様な強さになっていました。
いま振り返ると、あの頃の原宿には、遊びに対しても本気で工夫する人たちが多かった気がします。
服も、バイクも、ベーゴマも。
全部、同じ熱量でしたね。
そんなベーゴマブームも、しばらくすると自然に落ち着いていきました。
ひとしきり遊び尽くした人たちは、また別の新しい遊びを探しはじめ、
そして街は、いつもの日常へ戻っていきました。
【 バイカーのお店 】
ある日、渋谷店の先輩がやって来て、
「ちょっと近所の店に行くから付き合って」
と言いました。
どこへ行くのかも分からないまま付いていくと、原宿のもう一本裏にある遊歩道を、少し表参道方向へ進んだ右手に、プレハブの建物がありました。
いくつかの店が入った、古い建物です。
その一階にある店の前には、骨董品のようなハーレーが置かれていました。
先輩は迷いなく、その店に入っていきます。
レジには若いスタッフが立っていて、先輩と何か話をしていました。
店内には数型のオリジナルTシャツと、バイカーシェードをはじめ、ウェアやグッズが並んでいます。
さらにバイカー関連のVHSまで置かれていて、近くのブラウン管テレビでは、ハーレー乗りの映像が流れていました。
しばらくすると、先輩とスタッフの人が店の前へ出てきました。
そして、そこに置かれたバイクの前で立ち話を始めます。
このハーレーが、どのようにチョップドされたのか
ギアやシートの位置
タンクへのこだわり
わたしは原チャリ程度しか乗りませんから、正直さっぱり分かりません。
それでも、その美学の奥深さに、聞いているだけで「なるほどー」と頭を大きく縦に振ってしまいます。
結論、とんでもなく乗りにくいバイクであることだけは、間違いなさそうです。
でも、そんな手塩にかけたジャジャ馬だからこそ、愛着も湧くのでしょう。
いつの間にか、そこはバイカーたちの集合場所になっていました。
【 ストリートブランド 】
その頃、渋谷店では、とあるブランドが人気でした。
元々そのブランドは、カリフォルニア発のスケーターブランドという触れ込みでスタートしていたと記憶しています。
当時はDCブランドが落ち着き、インポートブームが台頭していた頃です。
海外ブランド信仰への偏見を払拭するには、面白いアプローチだと感じました。
今のように情報がすぐ広まってしまう時代なら、こうしたシャレも通用しません。
ある意味、あの時代ならではだったと思います。
もっとも、このブランドのファンは背景を知っていたので、設定はすぐに消えてしまいましたが……
それまでの日本ブランドは、縫製が綺麗で、どこかフラットな印象でした。
しかしストリートブランドやレプリカブームの流れの中で、カジュアルシーンにおける日本の縫製レベルは、一気に上がったと感じます。
そして縫製だけでなく、コンセプトの立て方も相当緻密になっていきました。
こうして、わたしのようなインポート信者でさえ、少しずつ飲み込まれていったのでした。
【 ファックスオーダー 】
すでに渋谷店では、そのブランドの入荷があると、お客さんが列を作って買いに来ていました。
オーダーはファックスで行われます。
まだメールもありませんでしたからね。
物撮り写真は郵送で届くものの、オーダー用紙は簡素な絵型と、素材や色、サイズなど最低限の情報だけです。
しかも、1店舗のオーダー上限も決まっていました。
そのため毎回、先輩たちは渋谷店の小さなレジ台の上で、
「ああでもない、こうでもない」
と頭を捻らせながら、サイズや色のバランスを考えていました。
当時、ストリートブランドの多くはこうしたファックスオーダー方式でした。
実際の商品を見るタイミングが、お客さんとほぼ同時です。
だからこそ、接客のライブ感というか、ワクワクする感じも共有できて、買い物する側も売る側も楽しい時代だったと思います。
展示会のように細かい情報を事前に伝えるのも良いとは思います。
けれど、半分くらいブラックボックス化していた当時のようなオーダー手法が、また増えてほしいなとも感じています。
しかし、そんな思いとは裏腹に、今は展示会ベースのブランドが主流です。
おそらく予算獲得や売上見込みが立つことで、合理化が加速していったのでしょう。
結局、ブランドに勢いがないと難しいシステムなのかもしれませんね。

