1995|渋谷「 ブランドが生まれる頃 」
【 携帯電話 】

この頃から、周りの先輩たちは携帯電話を持ち始めていました。

当時は、真っ黒で細長い、トランシーバーのような形のものが主流でした。画面は電卓のようなモノトーンで、粗いドットで文字が表示されています。

アンテナ部分を引っ張ると、頼りないプラスチックのアンテナがピロンと伸びる仕組みになっていて、こんなので本当に電波を受けられるのだろうか?と思ったものです。

最初のうちは、持っている先輩も数名しかいませんでした。当時は通話料金がとんでもなく高かったからです。会社から誰かの携帯電話にかけるときも、事前に確認を取ってから電話をかけるほどでした。

また、地下では電波が届かず、居酒屋で宴会をしているときも、電波の入る場所を探して、座敷の隅に携帯電話を立て掛けていたりします。

もちろん、宴会中に携帯電話が鳴ることもありません。

そんな様子を見ながら、便利なのか不便なのか、よく分からないものだなぁと思っていました。

やがて通話料金も下がり、電波の届く範囲も広がっていきます。すると、周囲でも携帯電話を持つ人が増えていきました。

会話の終わりに「携帯番号、教えてよ」とやりとりする光景も、頻繁に目にするようになりました。特に用事があるわけでもなく、電話で話をする人たちも増えていきました。

それでも、わたし自身は、これまでの生活で事足りていると感じていました。

そんなわけで、しばらくは携帯電話を持たず、新しい時代の変化を外から眺めていたのです。

とはいえ、わたしも一年後くらいには、同じような行動を取っていたんですけどね……

 

【 渋谷店のブランド 】

初期メンバーの頭文字を取ったオリジナルブランド(わたしは入っていません)は、毎月どこかの雑誌に掲載されていたこともあって、認知度が上がるにつれて売り上げも伸びていきました。

ストリートやデザイナーズの要素に、コンサバティブなテイストを少し取り入れたこのブランドは、原宿店に通う一般のお客さんにも受け入れられ、人気を集めていました。

一方、渋谷店ではストリートカルチャー色の強いジャンルが好まれていたため、店での扱いも数型に限られるようになっていきました。

周囲からストリートブランドが次々と生まれる中、渋谷店でも独自のオリジナルブランドを作ろうという話が持ち上がりました。

まずは、グラフィック担当だった渋谷店の先輩が、ブランドを立ち上げることになりました。

これはプリントTシャツを中心に、数型のウェアや小物を展開するブランドでした。

Tシャツのプリントは、主にヒップホップのサンプリングカルチャーを日本文化で表現した、実験的なものでした。ウェアや小物も、ポップなカラーリングを取り入れたヒップホップウェアといった雰囲気です。

当時としては、かなり早い試みだったと思います。一部のニッチな層には刺さるものの、一般のお客さんにはなかなか受け入れられず、売り上げにつなげるのは難しかったです。

それからしばらくして、S先輩主導のもと、渋谷店でもうひとつのブランドが立ち上がろうとしていました。

 

【 さざ波という名のブランド 】

元々のオリジナルブランドは、ひとつの生産会社が制作を担当していたこともあって、仕上がりの雰囲気が似ていました。

綺麗なのですが、なぜだかツルンとした平たいイメージに仕上がっています。

これは、毎日その洋服に接している者だけが感じる違いなのかもしれません。

S先輩は、もう少しカジュアルで、タフな雰囲気を持たせたいと考えていました。

そこで制作をお願いすることになったのが、渋谷店で展開していた別のブランドです。少量生産ながら丁寧な作りで、ほかのストリートブランドとは違う、独自の個性を感じるブランドでした。

ある日、道玄坂上のマンションの一室にあるデザイナーの事務所へ、先輩と渋谷店のルーキー、そしてわたしの3人で打ち合わせに行きました。

打ち合わせでは、ざっくりとした方向性を話しただけだったと思います。初回に何を作ったのかも、よく覚えていません。

当時、原宿店にいたわたしが同席したのは、卸や営業を担当していたからだったのでしょう。

結局、わたしがこのブランドの制作に関わったのは、この一回限りでした。それ以降は、先輩とルーキーが担当していました。

やがて先輩も少しずつフェードアウトしていき、ルーキーが仕切るようになっていきます。

その数年後、このブランドは人気ブランドのひとつになっていきます。

 

【 卸業務とか、別注とか 】

オリジナルのオーダー数も、気づけばかなりの数になっていました。一度の出荷で、100個近い段ボールを送ることも増えてきました。

アシスタントがいたとはいえ、会社が始まるお昼頃から、佐川急便が集荷に来る午後4時半までは、検品、納品書の作成、ピッキングと、まるで何かのスポーツをしているような慌ただしさでした。

また、卸業務がない日には、地方のお店のオーナーから電話がかかってくるようにもなっていました。地方のお店も売り上げの大きな柱になっていたため、電話が来ると長話になってしまうことも多かったです。

そんなある日、東北のオーナーから、別注の提案をもらいました。

それは、コーチジャケットの胸に、会社のマークを入れてほしいという話でした。

地球に王冠を載せたロゴマークは、当時の店のトレードマークでした。このマークを使ったTシャツは、わたしが入社する前にリリースされていましたが、その後、洋服に使われることはありませんでした。

その話を社長に伝えたところ、「使わなくていいんじゃない?」と、あっさり却下されました。

当時はそこそこ知られたマークだったので、使えば売れることは分かっていました。とにかく売り上げを作りたいという気持ちが強かったわたしは、もったいないなぁと思っていました。

周囲の友人のブランドでは、キャラクターやロゴを使った商品が人気でした。一方、ウチの店は、そうしたものに頼らず、洋服そのもので勝負したかったのかもしれません。

ついでに、わたしはもうひとつの提案をしてみました。

「knot(ノット)」というオリジナルブランドの名前に、わたしの名前も入れて「ノットット」にしませんか?

そうしたら、「もう入ってるから良いじゃん」と、こちらもあっさり断られました。

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