1993|原宿「原宿店はじまりの夜、近所のお店」
【 レセプション 】

いよいよ、原宿店がオープンすることになりました。

わたしはハートフォードのチェックシャツにチャコールグレーのウールパンツ。足元はJMウェストンのローファーです。さらに、イタリア製のバックスキンのジャケットを羽織っていました。

この会のホスト側として、小綺麗な格好をしていたつもりです。

レセプションは夕方から原宿のお店で開催されました。

当日は酒樽も用意されて、鏡開きも行いました。

社長はわたしのふたつ歳上で、当時はまだ20代半ばです。

それにしても、すごい大人な計らいだなぁと感じてしまいます。

さらに、芝浦のクラブGOLDの入り口で屋台を出しているおでん屋さんにも来てもらっていて、華やかなパーティとなりました。

この屋台は、当時のわたしのような若僧が入れる場所ではないと思っていました。

先輩たちから誘ってもらって、はじめて入れるようなお店です。

だから、そこのおでんが食べられたのは、素直に嬉しかったです。

そんなパーティには、渋谷店で見かける馴染みの人はもちろん、会ったこともない濃いキャラクターの人もたくさん来ていました。

その誰もが、自分自身の好きな格好で、何かしらのオーラを放っているように感じました。

すると突然、頑張っている自分のファッションが恥ずかしく思えてきました。

ホストの立場としては、間違っていないと思います。

前にいたセレクトショップだったら、普通の格好です。扱っている商品も重なっていましたからね。

それなのに、妙に場違いな感じが込み上げてきました。

つまり、数年間セレクトショップで働いていただけの、下っ端のわたしに、一体何の価値があるのだろう。

わたしは何者なのか?

ここから、そんな自分探しの旅が始まってしまいますが、そこに関しては、先のブログでちょいちょい触れていきます。

一方で、今後ひとりで店に立っている時に、この人たちにきちんと対応できるだろうか。

渡り合っていけるのだろうか?

そんな心配もありました。

とはいえ、原宿店は始まってしまいました。

わたしの抱える課題は、原宿店オープンという慌ただしさの中で、次第に薄れていきました。

 

【 開店、原宿店 】

オープン初日は、雑誌で紹介してくれたこともあって、ほどよくお客さんが来てくれました。

売り上げの中心は、やはり知り合いの有名DJがおすすめする、キャンバス地のエアフォースワンでした。

他にもパラパラと、満遍なく売れていたと思います。

当時のわたしは、ビンテージスニーカーか、新しく発売される目新しいデザインのスニーカーに興味がありました。

だから、ローテクスニーカーをモディファイしたものに皆が着目しているのが、新鮮に映りました。

この時点では、わたしは彼らDJたちの影響力を、あまり理解していませんでした。

けれど、彼らと同じ格好を目指す人の多さに衝撃を受けました。

実は、このジャンルは、すでに一部の間で成熟していたのです。

それはわたしの知る(ファッションの)流行の枠を超えて、ライトなイデオロギーと言えます。

まさに、思想からライフスタイルまでも変えてしまうパワーがありました。

そして、この時点ではまだ片鱗を見せているだけですが、ここから徐々にメインストリームへと上がって行くのです。

 

【 近所のショップスタッフ 】

開店してすぐ、渋谷店の先輩はちょくちょく原宿のお店に立ち寄ってくれました。

そんなある日、先輩から、近所にある友達のお店に行こうよと誘われました。

わたしは先輩に連れられて、表参道から一本裏路地にあるお店へと向かいます。

そここそ、カルチャーの発信地的なお店です。

店内のドアを開けると、真正面にひとりの若者が小さな椅子に座っていました。

彼はゾウさんギターを黙々と弾いていました。

先輩が話しかけると、その手を止めて、フランクな口調で返します。

見た目こそ若く感じますが、肝の座った話ぶりに驚きました。

彼は一体いくつなんだ?

ずっと縦割り社会で生きてきたわたしには、衝撃でした。

なんでこんなに堂々としているのだろう……

ここに連れて来てくれた先輩も、上下関係に対して厳しい人でしたが、全く気にする様子もありません。

いまさら、歳がいくつなんて野暮な話ですが、彼はわたしのひとつ歳下でした。

彼はギタリストで、スケーターでもあり、何より現代のヒップスターでした。

ウィットに富んだ軽快な語り口で、ついつい彼の会話に引き込まれてしまいます。

わたしはただただ先輩の後ろに立って、2人の会話を聞いてるだけでした。

そして、こんな彼が、いちスタッフと言うのだから、ここは一体どんなお店なんだろう……

 

【 カルチャーの発信地 】

このお店は、雑誌などでも連載を持っているDJの人がオーナーで、置いてあるブランドも、一緒に連載をしているデザイナーの物でした。

立ち寄った日は、商品がほとんど無くてスカスカでした。

数型のTシャツと、奥のコーナーに数着の洋服が置かれているだけです。

どうやら入荷がある日は、店の前に行列が出来て、すぐに無くなってしまうそうです。

数枚あった、胸に大きなフォトとロゴがあしらわれたTシャツは、レコードジャケットのようなアートピースでした。

直感的にセンスの良さを感じ、人気があるのも分かります。

また、周囲の仲間たちが同じTシャツを着ているのも、クルーの一員になった感じがして、ファンにはたまらないのでしょう。

しかし、ニッチなメッセージでもあるので、近すぎず遠すぎずのわたしからすると、手を出しづらい感じがします

さらに、このデザイナーズブランドの人気商品と言われていた太いボンデージパンツも、コーデュロイ素材の物が一本だけありました。

当時は、スケーターも穿けるボンデージパンツなんて触れ込みだったと記憶しています。

どちらのカルチャーも触っていたら、絶対に欲しいと思います。
日本のミクスチャー文化はすごいですね。

 

これが、とあるムーブメントの黎明期です。

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