渋谷ショップ編|第3回「わたしの選択」
【 わたしの選択 】

わたしはこのアルバイトを軸に、いくつかの仕事を掛け持ちしながら、必死に生活をつないでいました。

家ではキャベツを千切りにして食べ、ご飯を炊いてシャケフレーク。外食といえば、コンビニの肉まんといった感じです。

そんな倹約生活を送っていますが、洋服を買おうにも限界があります。

そのため、入社の日に買わされたオリジナルのシャンブレーシャツは、洗っては着てを繰り返し、大活躍でした。こうして、当たり障りの無い丁稚(でっち)スタイルでアルバイトを続けています。

わたしとしては、早くこの境遇から脱して、それなりのステージに行きたいと思っていましたから、ひとつの洋服を買うルールを決めました。

それは、少ない点数でもいいから、数ヶ月に1点でもいいから、社内で良しとされているアイテムに絞って買い続ける戦略を取りました。

最初は、迷わずオールデンのローファーです。これは社販だったので、返済は分割です。

当時、「オシャレは足元から」と言われていましたが、本当にその通りで、大概のアパレル関係者は足元を見れば分かる時代です。

 

【 オールデンのローファー 】

もともとオールデンのローファーは広尾の多田スポーツで、3万円後半くらいで売っており、素人時代に狙っていたアイテムのひとつです。しかし、セレクトショップで売っているローファーは68,000円もします。その違いは、前者はカーフ(牛革)で後者はコードバンです。コードバンは馬のお尻の革で、キメが細かく、磨き方次第でどこまでも光沢が増す高級素材です。履いたことがあれば一目瞭然です。

わたしのサイズは店に置いてある一番大きいUSの9.5インチで、甲高のわたしには少し小さかったですが、それでも絶対に履きたかったので、無理して買いました。しかし、仕事で1日履いていると、足の甲がグニャリと赤黒くなって、脳天を突き刺すほどの痛みがあります。翌朝、足入れする時も激痛が走り、また、夕方の足がむくむ頃にも痛みが増しました。

当時「オシャレは我慢」と言ったものですが、そんな格言を噛みしめながら、毎日履き続けました。まだ自信も無いわたしにとって、この靴はアパレル業界である証なのです。

もともとオールデンはハンディキャッパー用の足に優しい靴なんですけどね…

後日、ソールを張り替えた時、業者のオジさんから「タカハシくんの靴、糸を切った途端に、破裂するようにソールが外れたよ!」って言われました。

 

【 定番アイテムとファクトリーブランド 】

90年代初頭は、高級ブランドのファクトリーブランドが多く流入した頃です。

「実はエルメスのファクトリーです」みたいな触れ込みが、各所で見られました。これは、ブランドの冠(かんむり)が無い方が、感度が良いチョイスにも思え、スタイルを限定しないので、多くのアパレル店員から重宝がられていたからです(加えて安価ですからね)。こうして、ファクトリーブランドが、各セレクトショップのスタッフ間で、定番化したアイテムがいくつも生まれました。

わたしは業界で認知されたこれらのアイテムをひとつ、またひとつ買い集めていきます。

ファクトリーブランドを仕入れることは、見方によってご法度ですが、そこは当時のバイヤーや販売スタッフのリスペクトの念が勝り、その後、ファクトリー自体もブランド化し、成長していきました。これは日本特有の文化だと感じます。

 

【 念願のブランド 】

数ヶ月が経過して、わたしの成人式ということで、親からささやかな洋服代をもらいました。それではブランドのスーツまでは買えなかったのですが、成人式には手持ちのジャケットとウールパンツで参加することにして、シャツだけ社内で人気のあのブランドを買うことにしました。店に買いに行くと、ウッディな高級感溢れる店内に、微妙な色出しのジャケットやパンツ、シャツなどが整然と並べられ、奥には見たことのないオールデンの靴が並んでいました。

わたしは国宝でも眺めるように、ゆっくり店内を見てまわり、目的のシャツとシーアイランドコットンのポロシャツを買いました。ポロシャツは店の空気に飲まれて、ついつい買ってしまったのですが、品が良過ぎて、その後、数回しか着ることはありませんでした。

ほか、もっと使える何かを買えたのに…

背伸びもいいですが、身の丈に合ったコーディネートも重要ですね。当時のわたしとしては、高過ぎる勉強代になりました。

 

【 社員の言葉 】

成人式用に買ったシャツは、当然ながら我慢が出来ずにすぐに着て出社しました。

普段わたしの格好に全く無反応な社員数名が「おっ、イイの着てるね」って言ってくれました。はじめてわたしが着ている服に反応してくれたので、嬉しい気持ちになりました。

その日は、念願のブランドを身に付けて、また、社員と服に関して(少しでも)やりとりが出来て、ちょっといい気分です。

仕事中、在庫を取りにストックルームに入ると、年長の社員が入って来てました。すると、予想外の言葉が発せられます。

「おまえ、調子乗ってんじゃねぇぞ」「次、その服着て来たら、切り刻んでやるからな」

この人は、店内でも一番立場が上と思われ、新人のわたしにとっては雲の上の存在です。

その初めての会話が、まさかの叱責でした。わたしは完全に思考停止となり、その場で固まってしまいます。そして、その年長社員はストックルームから出て行きました。

キツイ言葉をかけられたにも関わらず、なぜだか、わたしの心は落ち着いていました。そして、こんな気持ちが湧き上がります…この服を着続けよう

 

【 同じ世代を生きる 】

その年長の社員さんは、わたしより15近く歳が離れていました。まさに業界の大先輩です。時代というのもありますが、わたしから見て大の大人が,全力で気持ちをぶつけて来る…それが当時、わたしがいたアパレル業界です。

今思えば、若輩者のわたしも同列で扱っているがゆえの、行為であり、当時はこうした人の存在が店やブランドの威厳を保っていたのだと感じます。今では考え難いですが、誰でも好きな格好をしていい時代ではありません。また、一般の人がこのスタイルに手を出しても、明らかに雰囲気が異なりますからね。いま流行の移り変わりが速いのは、こうした監査役が居ないからでしょう。店やブランド、はたまたスタイリングが、人間味ある手法で大切に守られていた時代だと思います。

もう数年歳下だと、こうした環境は綺麗さっぱり無くなって、その代わり、はっきりした世代の線引きみたいなものが出ています。

いまでも年上の人と話すことが多いですが、同じ立場で話題を共有出来るのも、そんな理由からでしょう。

ちなみに、年長の社員さんをはじめ、あたりがキツかった多くの社員さんは、のちに皆仲良くさせてもらって、深く知れば人情味あるいい人達ばかりでした。

そうなるのは、まだまだ先の話です。

修行の道は続きます。

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