1991-1992|渋谷「わたしの方針、予期せぬ言葉」
【 わたしの選択 】

この頃のわたしは、セレクトショップのアルバイトをメインに、いくつかの仕事を掛け持ちしながら、生活をつないでいました。

模擬テストの試験官や引っ越しのアルバイト、家庭教師、高校時代の友人から紹介されたアンケートの仕事などです。

家での食事は、キャベツを千切りにして、ご飯を炊き、メインディッシュはシャケフレーク。外食といえば、コンビニの肉まんといった生活でした。

そんな倹約生活を送っていたのは、洋服を買い、少しでも早く一人前の洋服屋になりたかったからです。

とはいえ、服を買うにも限界があります。

入社の日に買わされたオリジナルのシャンブレーシャツは、洗っては着ることを繰り返し、大活躍でした。こうして、当たり障りのない丁稚(でっち)スタイルで、アルバイトを続けていました。

わたしとしては、早くこの境遇から抜け出し、それなりのステージに行きたいと思っていました。

そこで、洋服を買うときにも、ひとつのルールを決めました。

少ない点数でもいい。数か月に1点でもいいから、社内で良しとされているアイテムに絞って買い続ける……

そんな戦略です。

最初に選んだのは、迷わずオールデンのローファーでした。社販で購入できたので、支払いは分割です。

当時、「オシャレは足元から」と言われていましたが、本当にその通りでした。アパレル関係者なら、足元を見れば、その人がどんな洋服を選んでいるのか、ある程度わかる時代だったのです。

 

【 オールデンのローファー 】

もともとオールデンのローファーは、広尾の多田スポーツで3万円後半くらいで売られていて、素人時代から狙っていたアイテムのひとつでした。

しかし、セレクトショップで売られているものは、68,000円もします。

その違いは、前者がカーフ(牛革)で、後者がコードバンだったことです。

コードバンは馬のお尻の革で、キメが細かく、磨き方次第でどこまでも光沢が増す高級素材です。実際に履いてみると、その違いは一目瞭然でした。

わたしのサイズは、店に置いてあった一番大きなUS9.5インチ。甲高のわたしには少し小さかったのですが、それでも絶対に履きたかったので、無理をして買いました。

ところが、仕事で一日履いていると、足の甲がグニャリと赤黒くなり、脳天を突き刺すような痛みが走ります。

翌朝、足を入れるときにも激痛があり、夕方になって足がむくんでくると、さらに痛みが増しました。

当時、「オシャレは我慢」と言ったものですが、そんな格言を噛みしめながら、毎日履き続けました。

まだ自信もないわたしにとって、この靴は、アパレル業界の一員であることの証だったのです。

もっとも、オールデンは、もともと足に悩みを持つ人にも配慮した靴づくりで知られるブランドなんですけどね……

後日、ソールを張り替えたときのことです。

業者のおじさんから、こんなことを言われました。

「タカハシくんの靴、糸を切った途端に、破裂するようにソールが外れたよ!」

毎日履き続けた靴には、それだけの負担がかかっていたようです。

 

【 定番アイテムとファクトリーブランド 】

90年代初頭は、高級ブランドのファクトリーブランドが多く流入してきた頃です。

「実はエルメスのファクトリーです」といった触れ込みを、あちこちで見かけました。

当時のセレクトショップのスタッフは、ブランドの名前が付いた商品よりも、あえて名前の付いていないファクトリーブランドを選ぶことがありました。ブランドの背景にあるものを理解したうえで選ぶことに、センスの良さを感じていたのだと思います。価格が比較的手頃だったことも、その理由のひとつです。

こうしたファクトリーブランドから、定番として定着していったアイテムも、いくつもあったと思います。

わたしも、そんな定番アイテムをひとつ、またひとつと買い集めていきました。

メインのブランドを扱いながら、同じ工場で作られた服を仕入れるのは、見方によって、少し複雑な関係にも感じられます。

それでも当時は、作り手へのリスペクトが、そうした事情を上回っていたように思います。

やがて、ファクトリー自体がブランドとして成長していくことが多くありました。

当時のセレクトショップには、そうした背景まで含めて、洋服を選ぶ面白さがあったのです。

わたしも、そんな世界のなかで、自分なりの定番を探していました。

 

【 念願のブランド 】

数か月が経ち、成人式を迎えるにあたって、親からささやかな洋服代をもらいました。

それでもブランドのスーツを買うには足りません。成人式には手持ちのジャケットとウールパンツで参加することにして、シャツだけは、社内で支持されていたフランスのブランドで買うことにしました。

その店に入ると、ウッディで高級感のある店内に、微妙な色出しのジャケットやパンツ、シャツなどが整然と並んでいました。

そして、奥には、見たことのないオールデンの靴が並んでいました。

わたしは国宝でも眺めるように、ゆっくりと店内を見て回り、目的のシャツと、シーアイランドコットンのポロシャツを買いました。

ポロシャツは、店の空気に飲まれて、ついつい買ってしまったものです。

しかし、品が良すぎたのか、その後、数回しか着ることはありませんでした。

ほかに、もっと使えるものを買えたのに……

背伸びをすることも大切ですが、身の丈に合ったコーディネートも重要です。

当時のわたしにとっては、高すぎる勉強代になってしまいました。

 

【 社員の言葉 】

成人式用に買ったシャツは、当然ながら我慢できず、すぐに着て出社しました。

普段、わたしの格好にはまったく反応しない社員が、数人、声をかけてくれました。

「おっ、イイの着てるね」

初めて、自分が着ている服に反応してもらえたのです。

その日は、念願のブランドを身に付け、社員と服について少しでもやりとりができたことで、ちょっといい気分でした。

ところが、仕事中、在庫を取りにストックルームへ入ると、年長の社員が入ってきました。

そして、予想もしなかった言葉を浴びせられます。

「おまえ、調子乗ってんじゃねぇぞ」

「次、その服着て来たら、切り刻んでやるからな」

この人は、店長を除けば、店のなかで一番立場が上の人でした。新人のわたしにとっては、雲の上の存在です。

その人との初めての会話が、まさかの叱責でした。

わたしは完全に思考停止となり、その場で固まってしまいました。そして、その年長の社員は、ストックルームから出て行きました。

きつい言葉をかけられたにもかかわらず、なぜだか、わたしの心は落ち着いていました。

そして、こんな気持ちが湧き上がります。

この服を着続けよう。

 

【 同じ世代を生きる 】

その年長の社員は、わたしより15歳近く年上でした。まさに業界の大先輩です。

時代というのもありますが、わたしから見れば大の大人が、全力で気持ちをぶつけてくる。

それが、当時わたしのいたアパレル業界でした。

今思えば、若輩者のわたしを一人の洋服屋として扱っていたからこそ、あれほど遠慮のない言葉が出てきたのかもしれません。

当時は、こうした人たちが、店やブランドの威厳を保っていたのだと思います。

今では考えにくいことですが、誰もが好きな格好をしていればいい、という時代ではありませんでした。

一般の人と、時代の波にもまれてきた洋服屋とでは、雰囲気が明らかに違っていました。

店やブランド、そしてスタイリングが、人間味のあるやりとりのなかで守られていた時代だったと思います。

わたしより数歳下の世代になると、こうした環境はすっかり姿を消し、その代わりに、世代ごとの線引きのようなものがはっきりしていったように感じます。

今でも年上の人と話す機会が多いのですが、同じ立場で話題を共有できるのは、そんな時代を経験してきたからなのかもしれません。

ちなみに、あの年長の社員をはじめ、当時、わたしにきつく当たっていた多くの社員とは、のちに仲良くさせてもらいました。

深く知れば、人情味のあるいい人たちばかりでした。

そうなるのは、もう少し先の話です。

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