1995|アメリカ「 準備不足の英会話、洋服の夢 」
アウトレットを目指す 】

ニューヨーク州を離れ、コネチカット州へ。ここからはハイウェイ沿いのアウトレット巡りです。

当時のレンタカーにはナビゲーションなどありません。頼りになるのは、「ロードアトラス」と呼ばれる冊子タイプの巨大な道路地図だけでした。

日本の地図なら問題ありません。でも、英語表記にマイル表示となると話は別です。ページをめくりながら現在地を探しているうちに、社長から「次どっち?」「あと何マイル?」と聞かれ、頭の中はすっかりパニックでした。

そんな中、目指すのはラルフローレンのアウトレットです。

手掛かりは、以前店頭でもらってきた全米のアウトレット一覧だけ。店名と簡単な住所しか載っていません。

だから近くまでは行けるものの、そこから先は看板が目印になります。

初めて行くアウトレットを目指していると、周囲には看板も、それらしき施設も見当たりません。

社長はグロッサリーストアの前で車を停め、「タカハシ、ちょっと道聞いてきて」

「はい!」

勢いよく車を降りたものの、数歩歩いて足が止まりました。

……英語で何て聞けばいいんだ?

 

【 勉強の英語、会話の英語 】

一応、わたしは大学受験で英語を勉強していたはずですが、あたりまえのフレーズは何ひとつ思い浮かびません。

結局、「ウエアー、イズ……」と言ったあとに、地図とアウトレットの住所が書いた紙を指差すのが限界でした。

店員さんは笑顔で流れるように説明してくれます。

でも、わたしの耳には「ペラペラ、ペラペラ……」としか聞こえません。

「ワンモア、プリーズ」

勇気を出してお願いしてみましたが、返ってきた英語も、やっぱりほとんど理解できませんでした。

それでも、「道を真っ直ぐ」と「右」は聞き取れたので、戻って社長にそのことを伝えます。

その通り進んだら、アウトレットの看板が見えてきました。

たまたま辿り着けたものの、「もっと英会話を勉強してくれば良かったー」

そう後悔したうえに、頼りにするつもりだった英会話の本まで日本に置いてきてしまっていました。

この旅で、どうコミュニケーションを取ればいいのでしょう?

わたしの脳内には、あたりまえの会話フレーズすら入っていません。あとは受験英語で培った言葉が適切に降りてくることを願うばかりです。

 

【 アウトレットモール 】

当時のアウトレットといえば、売れ残りや何らかの理由で店頭から外れた商品が集められる、まさに在庫の排出場でした。

もちろん、日本にはまだアウトレットモールなど存在しない時代です。

そんな中で訪れたラルフローレンのアウトレットは、わたしにとって夢のような場所でした。

店内には見たことのない商品が並び、タグには金色のマジックで印が付けられていたり、ハサミで一部が切られていたりして、正規店の商品とは区別されていました。

それでも、並んでいるのはラルフローレンです。

自分の買い物だったら、どれほど楽しかっただろう。

見渡せば、欲しいものばかりが目に飛び込んできます。

しかし、この頃のわたしは金欠のピークでした。

なんとか工面して持ってきた数百ドルだけが、自由に使えるお金です。

当時は1ドル80円台という信じられないほどの円高でしたが、そんな時に限って手持ちがありません。

本当なら何着か自分用に買って帰りたい。

それでも、ここはぐっと我慢です。

限られた資金を自分のために使うわけにはいきません。

欲しい気持ちを押さえ込みながら、わたしは買い付けに集中しました。

 

【 ボストンの人々 】

コネチカット州を抜け、マサチューセッツ州へ。やがてボストンの街並みが見えてきました。

ニューヨーク周辺のダウンタウンとは違って、(行ったことは無いけれど)テレビで見るヨーロッパの街並みのように落ち着いた雰囲気がありました。

同じアメリカなのに、ニューヨーク周辺とは空気まで違って感じました。

川沿いでは、SONYのスポーツウォークマンを着けて走るランナーを何人も見かけました。

その姿があまりにも格好良く見えて、「この旅では絶対にスポーツウォークマンを買って帰ろう」そう心に決めました。

また、スーツ姿のビジネスマンがレッドソックスのキャップをかぶっている姿も何度か見かけました。

日本で巨人ファンだからといって、スーツ姿で巨人のキャップをかぶる人はいませんよね。

これぞアメリカといった感じで、とても新鮮に映りました。

 

【 下町商店街の衣料品店 】

その後、ボストン中心部から少し離れた商店街を歩きました。正確な場所は覚えていませんが、どこか緊張感の漂うエリアです。

そんな街角で、お客さんで賑わう衣料品店を見つけました。

「ちょっと入ってみようか?」

社長のひと言で店に入ろうとすると、入り口には風呂屋の番台のような囲いがあって、その中に座っていたムスッとした大柄な男性が、店に入ろうとしたわたしに「ヘイッ!」と声を掛けてきました。

一瞬たじろぎましたが、どうやらそこはクロークのような役割をしていて、「荷物を預けてから入れ」ということだったようです。おそらく万引き防止のためなのでしょう。

ところが、荷物を預けるこちらとしては、本当に返してもらえるのだろうかと少し不安になります。店内も雑然としていて、所狭しと商品が積み上げられ、東京下町の作業服屋のようです。

並んでいるのは、有名なワークブランドやスポーツメーカーの商品も少しありましたが、それ以外は聞いたこともないブランドの服や雑貨ばかりです。まるでスーパーマーケットの衣料品売り場を、さらにディープにしたような品揃えでした。

その光景を見ているうちに、ふと中学生の頃によく通っていた京浜蒲田の衣料品店を思い出しました。

掘り出し物があるかもしれないと期待しながら店内を歩きましたが、結局これといった商品は見つからず、すぐに店を後にしました。近くの似たような店にも入ってみましたが、結果は同じでした。

こうした店は、観光客向けではなく、暮らす人たちが普段着を買いに来る、地元にある、ごく普通の洋服屋だったのでしょう。

華やかなショップばかりがアメリカではありませんね。地域に根ざした店があり、人々が日常の服を選ぶ風景がある。その姿は、日本と何ひとつ変わりませんでした。

わたし自身、中学生の頃は京浜蒲田の洋服屋へ通い、並んだ服を眺めるだけで夢を膨らませていました。

時代も国も違いますが、洋服には人をワクワクさせ、夢を見せてくれる力があります。

そんなことを、ボストンの小さな衣料品店であらためて感じました。

ボストンの街を後にして、わたしたちはさらに北を目指しました。

この旅は、まだまだ続きます。

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