
【 営業に関して 】
アシスタントが入ったことで、作業に追われる毎日にも少しずつ余裕が生まれてきました。
ようやく取引先と電話で話をする時間も持てるようになり、地方では何が売れているのか、どんな商品を求められているのかを直接聞く機会が増えました。
この会社には、地球のアイコンに王冠が乗ったトレードマークがあって、地方の取引先からは、「あのマークを使って別注を作りたい」という相談を何度も受けました。
そのたびに社長へ相談するのですが、返事はいつも、うまく煙に巻かれて終わります。
当時は、「たまには作ってもいいのにな」と思っていました。
しかし、一度それを許せば、各店は限られた予算を別注に回すようになり、次はもっと特別なものを求めるようになります。社長も直感的に感じていたのかもしれませんね。
そんな営業職が少しずつ板に付いてきたある日、社長から、営業を頑張ってるご褒美出張との名目で、ふたりでアメリカへ買い付けに行くことになりました。
しかし、このご褒美出張は、あらたなディールも兼ねていたのです。
【 はじめての海外買い付け 】
それまで、わたし以外のスタッフは定期的に海外へ行っていました。
一方のわたしは、店か事務所にいることがほとんどでしたから、数人の部下が入ってきたいま、社長なりに経験を積ませようと考えてくれたのも理由のひとつでした。
これは添乗員が案内してくれる旅行とはまったく違います。現地では何が起きるか分かりません。
みんな、そんなハプニングを乗り越えながら商品を買い付けてきていました。
わたしが初めて海外へ行くこともあって、先輩たちは出発前から、オロオロしているわたしを面白がっていました。
出発当日、渋谷店の先輩が言いました。
「タカハシ、ハンコ持った?」
「え? 必要なんですか?」
「初めて海外へ行く人は、ハンコがないと出国できないぞ。」
最初は冗談だと思っていました。
ところが空港へ向かう途中、その会話が頭の隅に残っていて、だんだん不安になってきます。
空港へ着く前にもう一度聞くと、
「えっ、持ってきてないの?」
と真顔で返されました。
その瞬間、頭の中が真っ白になりました。
「どうしよう……
本当に飛行機乗れないの?」
すると社長は呆れながら、
「そんなワケないじゃん」
と言いました。
「やっぱりねー」と心の中で言いながらも、そっと胸をなで下ろしました。
帰国してからもしばらくは、この話で散々いじられました。
こうして、わたしは海外買い付け最初の洗礼を受けることになったのです。
【 入国審査 】
ニューアーク空港へ着いた頃には、すっかり夜になっていました。
そこで心配だったのは入国審査です。
宿泊先を書く入国カードには、その日に泊まるモーテルの住所しか教えてもらっていません。
初めての海外で、英語も機内で初めて口にした程度です。
数日前から必死に覚えた定型文だけが頭の中をぐるぐる回っていました。
「他の日はどこへ泊まるんだ?」
そんな質問をされたらどうしよう。
そればかり考えていました。
しかし実際には、滞在日数と渡航目的を聞かれただけで、あっけなく終わりました。
こうして、わたしは初めての違う国に足を踏み入れたのです。
【 手荷物検査 】
夜も遅かったので、社長は足早にバゲージクレームへと向かいます。ふたりとも無事にダッフルバッグを受け取りました。
その先には荷物検査の列ができています。
わたしの順番が来ると、係員から突然、
「バッグを開けて」
と言われました。
持ち込んではいけない物など何ひとつ入っていませんから、平然とその指示に従います。
すると、中から買い付けた商品を持ち帰るための空のダッフルバッグが何個も出てくるワケです。
それを見た係員は、一個取り出して「何だ?」
もう一個出てきて「これは何だ?」
その後も、バッグからバッグが出てきて
「これは何だ? 何に使うんだ?」
と、係員も訳がわからないといった感じで質問してきました。
その反応に、わたしの頭は真っ白です。
何か英語を話さなければと思っても、一言も出てきません。
ちょうど隣を通り掛かった社長が事情を説明してくれました。
係員はわたしを一瞥すると、
「もう行け。」
というように手を振り、そのまま通してくれました。
その後、何十回とアメリカへ入りましたが、荷物を開けるよう言われたのは、この一度きりです。
これもまた、海外買い付け最初の洗礼だったのかも知れませんね。
【 夜のニューアーク 】
空港を出ると、社長は迷うことなくレンタカー会社へ向かいました。
人気もまばらな薄暗い一角に、レンタカー店だけがぽつんと建っています。
慣れた様子で手続きを済ませる社長を見ていると、自分だけが右も左も分からないことを改めて実感しました。
車で二十分ほど走り、その日の宿であるモーテルへ到着します。
社長は、
「チェックインしてくるから、車で待ってて」
と言い残して建物へ入っていきました。
周囲は真っ暗で、人の気配もほとんどありません。
車の中で待っている時間が、とても長く感じられました。
しばらくするとモーテルのドアが開きました。
戻ってきたのは社長ではありません。
体格のいい男性がふたり出てきて、車の前で立ち話を始めました。
何を話しているのかも分かりません。
声だけが静かな夜に響きます。
「まさかわたしのことじゃないよな……」
そんな考えばかりが頭をよぎり、ただ息をひそめて座っていました。
しばらくして社長が戻ってきたときには、本当にホッとしました。
その日は食事ができる店もほとんど閉まっていて、空腹のままモーテルへ戻りました。
こうして、わたしの初めての海外買い付けの旅が始まったのです。

