1993|渋谷・中目黒「大宴会と大学教授」
【 最初の事務所 】

渋谷店はファイヤー通り沿いの雑居ビルの2階にあって、左手には消防署、正面には渋谷公会堂まで続く坂が臨めます。

その坂の途中にあるビルの中に、事務所がありました。

そこには社長や経理の人がいて、さらにオリジナルの生産を担当してくれている先輩、並行輸入をしている先輩の会社も、同じフロアをシェアしていました。

並行輸入をしている先輩は、渋谷店の先輩と高校の同級生です。

海外生活が長かったこともあって英語もネイティブで、スニーカーを中心に、面白い商品をたくさん仕入れていました。

端正で爽やかな顔立ちで、見た目からも優しい雰囲気が漂う人なのですが、同い年の友人が多いせいか、よく突っ込まれていました。

その戯れ合いを見ていると、仲の良さが伝わってきます。

この先輩は、後に“超”の付くストリートブランドを日本に引っ張って来るのですが、それはまだまだ先の話です。

 

【 藤八の大宴会 】

中目黒駅の改札を抜け、信号を渡ってから右手の道を真っ直ぐ進むと、右手に「藤八」という居酒屋がありました。(いまは移転して山手通り沿いにあります)

当時は、この藤八のお座敷で、誕生日会という名の飲み会が定期的に開催されていました。

主に社長や先輩の親友、事務所の人たちはもちろん、近所のお店の人、スタイリストにDJ、モデルにクラブの人

さらにフリーランスや学生まで……とにかく、ごった煮状態でメンツが集まっています。

その中心は、わたしより2つ3つ歳上の人たちで、さらに上の人たちや、歳下も数人混ざっていました。

わたしは(お店の)先輩の弟分みたいな立ち位置だったので、体育会系な上下関係の中、その新入りとして、再び下積み時代が始まったことを実感させられます。

たとえば、各席へ行ってお酌をしに行ったり、オーダーを聞いて回ったり、あらゆる雑用で動き回ります。

前にいたセレクトショップでは、ある程度は気を使ってもらえる立場まで、なんとか辿り着きましたが、完全に丁稚状態にリセットされたワケです。

 

【 マジシャンの憂鬱 】

場が落ち着いてしまうと、先輩が急に、

「これからタカハシがマジックやるよー!」

と号令を掛けます。

そして、冷酒がなみなみ入ったトックリをバンダナで隠している間に、わたしがそれを一気に飲み干す、という……芸にもならない余興をやらされることになりました。(今後、恒例になっていくので、恐ろしい限りですが……)

まぁ、バンダナの裏で必死にイッキ呑みしている姿がチラチラ見えるものですから、それなりに笑いが起こります。

その必死さが伝わってしまうほどに盛り上がってしまうので、もう一回、二回と続くと、ますます沼にハマってしまいます。

その波が終わって、わたしへの注目がなくなると、わたしは離れたトイレへ駆け込んで、飲み過ぎた日本酒をオエオエと戻したりしていました。

酔い潰れないように……

盛り上がったり、構ってもらえるのは、正直うれしい気持ちです。

しかし、参加者の中には、これまで後輩として接していた歳下の人たちもいました。

そんな彼等にもお酌をして回ったり、わたしの芸(?)を見て笑われたりするのは、さらに下の立場に落ちてしまったようで、なんともやるせない気持ちになります。

飲み会自体は毎回楽しかったなぁと、心から思います。

けれど、ふとした拍子に、自分の情けない姿がフラッシュバックして、恥ずかしさに押し潰されそうになることがありました。

まぁ、いまなら上手く回避したり、気にもならないんですけどね。

自信もなかった分、小さなプライドが自分自身を苦しめていたのかもしれませんね。

 

【 大学教授 】

この飲み会には濃いメンツが揃っていましたが、その中でも一段と異彩を放っていた存在がいました。

彼はフランスにある国立大学の教授だそうで、シルクハットに燕尾服といった出立ちです。

どう見ても只者ではないことは明白です。

当時はパリに行く業界人も多く、知る人ぞ知る存在だったようですが、モデルの先輩がパリでお世話になったことがきっかけで、日本に一時帰国していたタイミングで、この会に参加していました。

その場に居合わせた有名スタイリストの人も、当時注目されはじめたドルチェ&ガッバーナで全身をスタイリングしていて、シルクハットをかぶっていました。

しかし、ファッションのそれと、教授のそれは明らかに違います。

本人曰く、貴族か何かの称号を持っているのだそうで、話し方も皇族のような感じでした。

わたしには、その真偽を見定める経験や知識も無いので、考えるだけ野暮な話です。

それでも、その胡散臭さすら凌駕するウィットに富んだ会話や、浮世離れした世界観の話に、魅了されてしまいます。

周囲の人たちも、変わった教授だと認識しつつも、ついつい紳士的になって、丁寧に接していました。

 

【 教授との帰り道 】

この頃のわたしは、都内の家も引き払ってしまい、実家から通っていました。

その日のわたしは例の余興で、すっかり酔っ払ってしまい、終電も逃してしまいました。

すると大学教授が、

「今晩は、家に泊まっていきたまえ」

と、有り難いお言葉を掛けてくれました。

他に選択肢もありませんでしたし、初対面ではありましたが、新人のわたしに隔てなく接してくれたのは、一筋の光のようで、心から嬉しくなりました。

また、教授の浮世離れした話も、もっと聞いてみたいと思っていましたから、お言葉に甘えて泊めてもらうことにしました。

彼の家は四ツ谷駅のすぐ近くにありました。

中目黒からは距離もありましたが、酔い覚ましに歩いて帰ろう、ということになりました。

酔っ払ってあまり覚えていませんが、ベネチアの話から、イタリアの素敵な思い出話などを、たくさんしてくれました。

行ったことも、経験したことも無い話でしたが、頭の中で勝手に映像が広がって、なぜか良い気分になりました。

月が明るく照らす中、色々と心が動いた1日でしたが、最後はなぜか清々しい気持ちで、四ツ谷の家を目指すのでした。

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