
【 新しい友人 】
高校2年生になってクラス替えをすると、新しい友人も増えました。
その中に、度の強いメガネを掛けた、一見地味そうに見えるも体格の良い男がいました。彼は青山の骨董通りと国道246が交差するあたりに住んでいて、超が付くシティボーイです。にもかかわらず、軽やかさと豪快さを持った男です。
彼とはすぐに仲良くなりました。放課後は彼の家に立ち寄って、ママチャリを2ケツしながら週に数回、渋谷や原宿、青山や表参道のショップを巡るようになりました。彼はこの辺が地元でもあったので、裏路地や雑居ビルにあるマニアックなお店も良く知っています。学業そっちのけで、洋服を買いまくるでも無く、受験勉強で忙しくなるまで巡回を続けていたんですよね。
【 友人の地元仲間とアウトサイダーと 】
彼には青山ローカルの仲間と繋がりが深く、当時の地元(青山界隈)の流行りや生きた情報を色々教えてくれました。
彼らとは、何度か街で(友人といる時に)すれ違った程度でうろ覚えですが、ノースリーブがいない映画アウトサイダーといった雰囲気です。デニムの上下に白いTシャツ、そしてエンジニアブーツといったスタイルです。これが80年代のアメカジブームの基礎になっていると感じます。その基礎に、インポートのあらゆるテイストが肉付けされてハイブリッドに進化していきました。
それを踏まえて、彼の解説付きで巡るショップ達は、わたしにとって目から鱗のアトラクションでした。
【 voiceのセールと赤耳 】
セール時期はショップ巡りとしては熱いシーズンです。普段より、行動範囲も広がって、その足どりも軽やかです。そんな中、友人は原宿にある材木屋のビルに入っていたvoiceという古着屋に行こうと言いました。
ここではリーバイス501がセールになって1,000円とか2,000円で床に山積みされています。彼は言います。この中に裾をめくると生地の端が白いヤツがあって、地元連れはそれを買うのだそうです。これが今で言う赤耳です。
赤耳と呼ばれて重宝されるのはもう少し先の話ですが、ほかと比べると、色落ちの濃淡がわずかに深く、ピスネームもプリントで掠れていたため、ちょっとした特別感は滲み出ていました。
ただ、この生地の端が白いヤツは10本に1.2本くらい混じっているものの、サイズや状態まで選ぶとなると、シンデレラサイズはありませんから、スルーしていましたね。
当時はそんな発想すらなかったんですけど、サイズや程度を気にせず沢山買っておけば良かったなぁと思います。
【 ニューバランス 】
しばらくして、その友人は地味なスニーカーを履いて登校して来ました。
「これ、オッさんが履きそうなスニーカーだよね?」と彼の地味なスニーカーを見て一緒に笑いました。どうやら、地元青山界隈で盛り上がっているらしい…
これがニューバランスです。
それまでは、ケイパやリーボックのエアロビシューズか、トレトンやK-Swissなどのシンプルかつ爽やかなスニーカーが流行っていたので、この地味な佇まいはかなりのインパクトです。しかし、そのギャップと、奥ゆかしい雰囲気、そこがカッコいいというカウンター的価値は、心に刺さりました。
わたしも早速、広尾のタダスポ(多田スポーツ)でニューバランスを買いに行きましたが、576や990などの定番とは違いました(700番台だったと思います)。もう少し調べてから買えば良かったです。
いま思えば、慌てて結果を出そうとして、失敗していたのだと思います。
そんなニューバランスに関しては色々あるので、後日コラムとして書くことにします。
【 軍パンとジージャンと 】
しばらくすると、友人は青山ローカルたちが、やたらと太い古着の軍パンを穿きだしたそうです。渋谷界隈で爆増していたエンジニアブーツは履いておらず、もっぱらニューバランスやサッカニーのスニーカーを合わせていたようです。
そんな6ポケットの軍パンは、今でこそ合わせやすいアイテムのひとつですが、当時は着こなすテーゼがありませんから、よほどスタイリングに気を使わないい限り、軍人コスプレのような、意図せぬ雰囲気になってしまいます。カーキ色ってMA-1などのフライトジャケットは別として、当時では難しい色だったと感じます。
そこで重宝されたのが、校内でも爆発的に流行っていたLevisのジージャン70505です。これはビッグEのピスネームが付いていても安価に流通しており、どんなスタイルでも、これひとつ合わせれば、アメカジスタイルとして落ち着いてくれます。
わたしも入手してからは、これは本当に毎日着ていたと思います。
【 ショップ巡りの終焉 】
わたしたちは、進学校ということもあり、高校3年の秋頃には、次第にショップ巡りをする回数も格段に減っていきました。
何度も同じ店に通い過ぎて、新鮮味も失ってしまったのも理由のひとつでしょう。同じ店といっても、渋谷、原宿、青山界隈の店を網羅する勢いで巡っていましたから、相当数と思いますが…
店によっては「また、アイツら来た!」って思っていたかもしれませんね。
不毛にも感じたショップ巡りでしたが、親友と過ごした時間の積み重ねが、いまのわたしの洋服観を、育ててくれたのかもしれません。
次回は、アメカジがいよいよ「渋カジ」へと名前を変えて大衆化すると、カオス化が始まった80年代後半のお話です。

