
【 アメリカ料理 】
ボストンまでの車中、社長は今回の旅の途中に、美味いカニ料理を食べさせるレストランがあると言っていました。
レモンバターで食べるそれは本当に美味なのだそうです。
わたしは、築地にある魚屋の倅(せがれ)で、海鮮は日本食がダントツで美味しいと思っていましたから、レモンバターで食べるなんて、きっと大味なアメリカ料理なんだろう。
そう思っていました。
話によると、以前の買い付けで何度か先輩たちと食べに行ったそうで、先輩のひとりは、めちゃくちゃその味を気に入っていたそうです。
そのレストランは、買い付けのルートから少し外れた湖の畔に、ポツリとありました。
いわゆる木造のアメリカンな建物で、平日のランチタイムを過ぎていたので、お客さんはほとんどいません。
買い付けの緊張感からも少し解放され、湖を眺めながら過ごす時間が、とても心地よく感じられました。
しばらくすると、例のレモンバターで食べるカニ料理が、出てきました。
あらためて調べてみると、おそらくジョナクラブという、ニューイングランド地方の名物だったようです。その後、全く使わないワードでしたから、記憶から抜け落ちていました。
ハサミを割ると、中からは盛り上がるように真っ白な身がぎっしりと詰まっていました。湯気の立つ身を黄金色のレモンバターにくぐらせると、爽やかな香りが立ちのぼります。
想像していたような大味さはまったくありません。レモンバターをたっぷり漬けてもレモンのさっぱり感でいくらでも食べられそうです。
今日はこのまま景色を眺めながら一日を終えたい気分でしたが、買い付けの旅はまだまだ続きます。後ろ髪を思いきり引かれながら、わたしたちは次の目的地へと車を走らせました。
【 サンドウィッチと自家製ピクルス 】
その翌日は、ニューハンプシャー州を目指して車を走らせていました。
ちょうど昼時になり、アウトレットモール近くのハイウェイを降ります。
高原のように開けた場所の道角に、黒い小さな建物がありました。そこはテイクアウト専門のサンドウィッチ屋でした。
社長が「ここで昼ご飯、買っていこうか?」と言うので立ち寄ることにします。
周囲には他に店もないのに、店の前には二人ほどお客さんが並んでいました。もしかすると、わざわざここを目指して来る人気店なのかもしれません。
わたしはBLTサンドを注文し、社長も自分の注文を済ませると、レジ横にあった瓶詰めのピクルスを見て
「タカハシも食べる?」
と言いました。
正直、ピクルスはそれほど好きではありませんでした。でも、瓶の中に入っているピクルスがあまりに美味しそうに見えるので、一本ずつ注文することにしました。
提供されたピクルスは、撥水性のある紙にクルッと巻かれただけです。
その場でかじってみると、それはもう、とんでもなく美味いわけです。
甘味や酸味が全く立っていません。
ピクルスって、こんなに美味しい食べ物だったのか……
それ以来、たまに自家製ピクルスを買うこともありますが、いまだにあのときの味には出会えていません。
そしてBLTサンドも、当時のわたしが知っていたものとはまったく違いました。
日本で思い浮かぶサンドウィッチといえば、コンビニやパン屋で売っている三角形のもの。BLTといっても、せいぜいデニーズのメニューを思い浮かべるくらいでした。
ところが、そこで食べたBLTは、驚くほどジューシーで美味しかった……
1995年の日本では、こんなサンドウィッチを食べる機会は、まだほとんどありませんでした。
あの日、何気なく立ち寄った小さな店。
一本のピクルスとBLTサンド。
たぶん、もう二度と訪れることはできないでしょう。
【 アメリカの景色と森高千里 】
ニューハンプシャー州のアウトレットを巡った後、いよいよ車はニューヨークへ向けて南下していきます。
当時、アメリカのレンタカーのオーディオといえば、ラジカセがほとんどでした。
社長は成田空港で、出張中に車内で聴く用の邦楽カセットを2本買っていました。ひとつは、確か浜田省吾。そして、もうひとつが森高千里でした。
森高千里については、曲を聴きたいというより、どうやら顔が好みだったらしく、「ちょっと買ってみるか?」くらいの軽いノリだったと思います。
すでにCDが主流になっていた時代ですから、空港のカセットコーナーも選択肢はそれほど多くありませんでした。
それでも社長には、邦楽を聴くことについて、ちょっとした持論がありました。
日本人として生きてきたのに、海外の曲ばかり好きというのは、どこか格好をつけているんじゃないか……
そんな、社長的な"本音"論法です。
確かに、会社ではよく、赤坂にある先輩たちの友人が働くカラオケスナックへ行くことがありました。
先輩たちは皆、何かしらの一芸を持っていて、そのたびにドッカンドッカンと盛り上がります。まるでテレビのモノマネ番組のようです。
業界の人やモデルたちも、それぞれに人を楽しませる術を持っていました。初めてその光景を見たときは、ものすごいパワーを感じたものです。
そんな人たちは洋楽にも詳しい。日本の歌も歌えば、海外の音楽も聴く。好きなものを無理にどちらかへ寄せることなく、案外ニュートラルなワケです。
社長が言いたかったのも、きっとそういうことだったと思います。
とはいえ、アメリカのドライブで聴く音楽といえば、イーグルスやドゥービー・ブラザーズのような、乾いた軽快なロックを勝手にイメージしていました。
まさか今回の買い付けで、日本人アーティストの曲ばかり聴くことになるとは思ってもいませんでした。
ところが、それが案外、心地よく感じました。
海外へ買い付けに行くとき、インスタント味噌汁を持って行きたくなるような、そんな安心感です。
そして、最初はノーマークだったわたしも、何度も聴いているうちに、少しずつ森高千里の良さがわかってきました。
その後も、森高千里の曲がどこかで流れていると、あのアメリカでのドライブを思い出します。
アメリカの広い景色を眺めながら、日本の音楽を聴く……
案外、良いものだと感じました。
コネチカット州に入ると少しずつ車の量も増えてきました。
ニューヨークまで、あと少しです。

