
【 ノースウェーブ 】
80年代後半から90年代前半は、各ブランドが新しいスニーカーを次々と生み出していた頃です。
ハイテクを意識した近未来的なデザインや、それまでの概念と違う実験的なモデル。特にNIKEからは、日本では発売されなかった「何コレ?」と思うようなスニーカーも数多く存在していました。
そして、ちょっと前から、近所にある知り合いのセレクトショップでは、まったく違うタイプのスニーカーが爆発的な人気を集めていました。
それが、ノースウェーブです。
極端にボリュームのあるシルエットは、それまで見たことのない可愛らしさがありました。スノーボードのオフシューズとして人気が広まり、周囲の先輩たちが履いていたこともあって、一気にブームになります。
私も「本当に、これは可愛いな」と思いました。履けばきっと愛着も湧いたでしょう。
それでも最後まで手を出しませんでした。
理由は単純で、私のライフスタイルとは少し違ったコンセプトのスニーカーだったからです。スノーボードをやっていたわけでもありませんからね。わたしの中の保守的な気持ちもあったのでしょう。
とはいえ、私のスニーカーへの興味は、その潮流とは、少し違う方向へ向かっていたのです。
【 インスタポンプフューリー 】
そんな空気を一変させたのが、リーボックのインスタポンプフューリーでした。
鮮やかなカラーリング、シューレースをなくした大胆なデザイン、そして空気を注入してフィット感を調整するポンプシステム。
それまでのスニーカーに比べ、かなり異色な存在です。
当時、これはNIKEでポンプシステムを搭載したバッシュ(デザイン名は忘れましたけど)をデザインした人がリーボックへ移籍して生み出した一足だと噂されていましたが、真偽は不明です。
発売当初は大々的に宣伝されていましたが、あまりにも未来的なデザインだったため、アスリート向けのシューズという印象でした。そのため、ファッションとして取り入れるには少し違和感を覚える存在に思えました。
【 先輩のお店 】
ちょうどその頃、渋谷時代に近所のお店で店長をしていた先輩が、原宿で自分のお店をオープンしました。
店内には派手なモトクロスジャージをはじめ、ほかではあまり見かけない古着や並行輸入品が並び、今思えば早過ぎるセレクトショップでした。もちろん、当時では珍しい確かな世界観がありました。
そして、その店にインスタポンプフューリーがポツリと置いてありました。
スポーツショップで見た時にはテクニカルなランニングシューズにしか見えなかった一足が、その店では不思議なくらい自然に馴染んでいました。
「ああ、こんなファッションへの落とし込み方もあるんだな」
同じスニーカーなのに、見える景色がまるで違ったのです。
すると私は、このスニーカーを履いてみたくなりました。
ところが、そのお店では自分のサイズであるUS11はありません。
そこで社長に、「次のアメリカ買い付けで、もし見つかったら僕の分だけでも買って来てください」と頼んだのです。
【 入荷、そして販売 】
しばらくして帰国した社長は、本当にポンプフューリーを買ってきてくれました。
履いてみると驚くほど軽く、靴紐がないので脱ぎ履きも楽です。
見た目のインパクトとは裏腹に、とても実用的なスニーカーでした。
私はすっかり気に入って、毎日のように履いていました。
周囲から「派手なスニーカーだね」と言われることはありましたが、大して話題にもなりません。
そして、社長は商品としても数足仕入れてきていました。
聞けば、アメリカでは全く人気が無かったのか?投げ売りのような価格だったそうです。
「日本では18,500円だから、14,800円くらいで売ればいいんじゃない?」
そんな感覚で店頭に並べていました。
さらに、ポンプに空気を補充するための専用ミニボンベまで付いていたので、お客さんにはそのボンベもオマケで付けていました。
店頭に並んでしばらくは、他より安いという理由で買う人はいても、大して売れませんでした。しかし、ある時を境に、勢いよく動き出します。
【 ビョーク効果 】
それは、ある日のこと、歌手のビョークが、雑誌『CUT』の表紙でこのスニーカーを履いて登場したのがきっかけです。
その表紙で、このスニーカーを取り巻く空気が変わりました。
街でも履いている人を見かける機会が一気に増えていきました。それだけビョークの表紙の写真は影響がありました。
一方で、私が履いていた黄色と赤のポンプフューリーは、毎日履いたおかげで色あせ、すっかり薄汚れていました。
それだけ夢中になって履いた証ですけど、世間のブームと反比例するように、私の中でのブームは少しずつ終わりを迎えました。
そんな頃、巷ではこんな噂が聞こえ始めていました。
「今度出るNIKEのエアマックス、ヤバいらしいよ。」

