
【 心地の良いお店 】
原宿店オープンまで、あと1か月ほどになりました。
着々と準備が進んでいく中、わたしは渋谷店に出入りする時間も多くなってきました。
内装もまだ完成していないし、商品の入荷もこれからだったので、特に仕事としてやることはありません。
やるとすれば、一階の階段裏にあった小さな倉庫の整理をしたり、店で売れた商品を、その倉庫まで補充しに来るくらいです。
だからといって、店に戻っても(小さな店なので)、居場所はありません。
結局、誰かが来たら会話の輪に入り、それ以外は、店前の渡り廊下にあるパイプ椅子に座っているか、手すりの向こう、区役所へ向かう坂をボケーっと眺めているくらいでした。
普通だったら、仕事の邪魔でしかありませんが、そこは色々な人が出入りするお店です。
先輩達も、こうしたことをあまり気にしていないようで、ほどよく放っておいてくれました。
この居心地の良さが、沢山の友人が集まる魅力だったのかもしれませんね。
【 モデルの同級生 】
そんな居心地の良い渋谷店に、昔から渡り廊下のパイプ椅子に座って、長い時間を過ごしている人がいました。
彼は、店にスタッフがいない時には店番もしてくれていた、お店の顔的な存在です。
当時の彼はモデルをしていて、ファッション雑誌の表紙なども飾っている有名な人でした。
古着のスウェットに、少し太めのビンテージデニムと、足元は、味の出たエンジニアブーツを履いています。
これは、わたしが高校生の時に渋谷界隈のローカル達がしていた、何気ないアメカジの最終形態です。
まさに、洗練されたスタイルですね。
もちろんモデルなので似合っているのは当然ですが、力が抜けた雰囲気で、これぞセンスだなぁと感じます。
実は、その彼とわたしが会うのは、はじめてではありませんでした。
高校三年生の時に、日比谷のクラブで、わたしの高校と、彼が通っていた高校の2校合同でパーティを開いたことがありました。
その時、彼もその場に来ていました。
とはいえ、共通の友人はいたものの、ほとんど「はじめまして」に近い距離感でした。
それでも、渋谷店のパイプ椅子に座る彼を見ていると、どこか昔から知っている人のような気もします。
あの頃の渋谷には、そういった人が何人もいました。
【 将棋ブーム 】
当時、渋谷の店では、将棋が流行っていました。
木製の折りたたみ式の将棋盤を広げ、狭いレジ台の上だったり、外のパイプ椅子の上で、パチリ、パチリと将棋をさしていました。
ちょうどスピリッツという雑誌で、「月下の棋士」という漫画の連載が始まったタイミングで、再び将棋をやりたいなぁなんてムードだったのかもしれません。
多少の上手い下手はあっても、レベルは拮抗していたので、勝ったり負けたりと、皆が楽しめる娯楽になっていました。
わたしも、この漫画に憧れて将棋の本を読み、定石などを試してみるのですが、何故だか一手ずれてしまうので、あり得ない負け方ばかりしていました。
そんな将棋ブームを盛り上げていたのは、向かいの雑居ビルに入っていた、DJに特化したショップの人たちです。
空いた時間があると、渋谷店まで将棋を差しにやって来ていました。
【 DJのセレクトショップ 】
この店のスタッフは、藤八での誕生日会にも参加している先輩達で、本職は有名なヒップホップDJをしている人達でした。
渋谷店の同じ歳の先輩社員とはとても仲が良く、彼と一緒にはじめてその店に連れて行ってもらった時、店内にはセレクトされたレコードの他に、ビッグサイズの派手なラルフローレンをはじめ、リアルなヒップホップシーンを感じる品々がラインナップされ、レジ前には、アンダーグラウンド感満載のカセットテープが置かれています。
この店には、自分の知らない、カルチャー重視の世界観が完成されていました。
きっと、細分化されたストリートムーブメントの起点が、この場所にはあったのかもしれません。
【 強盗騒ぎ 】
ある日、いつも通り渋谷店に行くと、店内がザワザワしていました。
どうやら渋谷店の倉庫が強盗に入られたらしいのです。
渋谷店の倉庫は、ビルの階段裏にあって、完全に死角になっています。
夜は人通りも少ないので、そこを狙われたようでした。
倉庫の鉄の扉が、バールのような物でこじ開けられた跡があります。
そして、倉庫内は荒らされた形跡がありました。
わたしが着いた時には、警察の検証も終えた後で、倉庫の整理をすることになりました。
荒らされた倉庫内は、ぱっと見、何が無くなったのか分からない状態です。
ですが、よくよく調べてみると、当時、並行輸入の定番だったカルバンクラインの下着だったり、ギャップのポケットTシャツなどの生活着ばかりが無くなっていました。
一方、お客さんから見たら、お宝と思われるブランド品は、全くの手付かずです。
警察の話だと、当時、外国人犯罪グループが渋谷界隈で同様の強盗に入っていると聞きました。
彼らにとっては、盗るものが無かったのかもしれません。
平穏に日々が過ぎているように見える渋谷の店にも、こうした小さな波が、ときどき押し寄せていました。
それでも店は、少しずつ前に進んでいます。
そして新しく始まる原宿店には、きっともっと大きな波が待っているのでしょう。
内装が完成するまで、あと数日です。

