
高校に入ってからの話は、当時の感覚のまま楽しくスラスラと書き進んでしまいました。
ここからは、あの頃は気づかなかった背景を、今の視点で見つめ直す回です。
【 アメカジの源泉 】
80年代のアメカジブーム(インポートブーム)は、子供時代に触れたメディアの影響が大きく、起こるべくして盛り上がったムーブメントだと思います。
幼少期の欧米文化に触れた話は以前のブログで書きましたが、小学生の頃、夢中だった「アメリカ横断ウルトラクイズ」の存在も大きかったです。日本の奥ゆかしさより、ビッグで派手な欧米文化のほうが、圧倒的にキラキラしてましたからね。
マクドナルドなどの食文化や「スター・ウォーズ」などの映画も同じですね。知らぬ間に、欧米文化のシャワーを浴び続けていたワケです。
中学時代のヤンキー文化も、ルーツはロカビリーで、まぁわたしのように変形学ランばかりに目が行って、気づかないケースもありますが、感度が高い同世代は最初から分かっていたのかもしれませんね。まぁ、布石はたくさん投げられていましたから…
【 すでにある情報の継承と進化 】
そんなバラバラな欧米のピースをまとめてくれていたのが当時のアメカジショップの店員達です。各々の方向性が定まっていた人が多かったと思います。また、原宿や青山界隈にいた、もともとヤンチャだった人たちも、目指す方向が明確(例えば、ロカビリーとかですね)で整理され洗練されていました。
同時に、MADE IN USAカタログや、雑誌POPEYEでインポートファッションも、生の情報に溢れていたと思います。
映画もそうですね。ジェームズ・ディーンの映画「理由なき反抗」でもエンジニアブーツを履いていましたが、これはノーマークでした。「理由なき反抗」はリーのデニムや赤いドリズラー(マクレガーでしたっけ)ばかりに目が行ってましたね。映画「乱暴者」のマーロン・ブランドもエンジニアブーツ履いてましたけど、白黒映画ですから、昔の格好くらいの認識です。
こうして感度の高い中学生や高校生が、これらの情報をさらに仕分けして、継承しながらミクスチャーしたのが、同世代のアメカジブームでしょう。
【 パーティとチーム 】
さらに新しい文化でいえば、世間の大人達がダブルのスーツでバブル期を謳歌している頃に、付属高校の生徒がディスコを貸し切ってパーティを開いたことでしょう。それを取り仕切っていたのが初期のチームです。
他校の生徒にパー券をさばき、イケてる高校生男女が集うパーティです。これは、当時の高校生からしたら、ちょっとしたステイタスです。
また、巨大なパーティだと、ビンゴゲームなどで、ルイヴィトンやハンティングワールドのブランドバッグが景品として当たったそうで、高校生のパーティとしては、それなりの事業ですよね。
一方で、資金や集客があっても、力の弱い学校がパーティを企画すると、他のチームから潰されていました。
まぁ、こうしたチームが登場したあたりからアメカジの闇が少しずつ露呈しはじめました。
当時、クラスの集まりが渋谷であったとき、ちょっと目を離した隙に、同級生が宮下公園でカツアゲされていて、やはり不穏な空気は感じました。そして、「渋カジ」というワードが出はじめたのもこの頃だったと思います。
【 渋カジ到来と象徴するものたち 】
「渋カジ」は、どこかの雑誌が命名したと記憶しています。DCブームも落ち着いた頃で、この新しい流行を雑誌メディアは、街角スナップやアイテム紹介などで、取り上げるようになりました。
こうして、雑誌やメディアで「渋カジ」が体系化されると、渋谷の街に渋カジファッションが増殖するのですが、象徴するアイテムがこんな感じです。
そのひとつ目は、ルイヴィトンやハンティングワールドのブランドバッグですね。多分、初期のチームが付属高校内で結成されたのが始まりとのことで、例えば親のブランドバッグを借りたり、買ってもらったりしたと聞きます。これは、カジュアルファッションとの差別化になりました。
もうひとつはビンテージ古着ですね。たしか、当時リーバイス(デニムジャケット)の1stは10万弱くらい、2ndは5万〜7万くらいでしたかね。リーバイスのダブルエックス(パンツ)で5〜10万くらいだったと思います。それでも、古着でこの価格設定自体ありえない金額ですから、その価値を知らないと買わないですよね。
ほかにはアヴィレックスのB-3が流行っていました。何故だかブランドはアヴィレックスです。
レッドウィングのエンジニアブーツは黒レザーはもちろん人気ですが、ベージュスウェードは格上感がありました。たしか、ピンクドラゴンで31,000円くらいで売ってたと思います。ほかにもレッドウィングのアイリッシュセッターは大人気でしたね。
渋カジといえば、ジュエリーは(今はさらに大人気の)ゴローズですね。ゴローさんと仲良くなって、自分用にアレンジしてもらえるのが、最高のステイタスだったようです。
あとレイバンのサングラス、これはゴールドのメタルフレームで四角いパイロット型です。すっかり忘れてましたが、マストアイテムのような存在でしたね。
これらをヘインズの3枚パックの白いTシャツに合わせるワケですね。今のTシャツと比べると、すぐ首もヨレヨレダルダルになって、ひどいものでしたが・・・
あと、これはアイテムとか関係ないんですけど、姿勢がいい人が多かったですね。天から引っ張られている感じです。ヒールの高いブーツを履いている人が多かったからでしょうか?
【 渋谷のカオス化 】
まぁ、週に何度も渋谷の街をプラプラしていると、渋谷界隈を遊び場にしている人と、そうで無い人の見分けは、なんとなく付くようになっています。すると、明らかに毛色が違う感じの人たちが増殖しているんですね。それは渋カジが大きなムーブメントになった証です。
たとえば、新品の現行モノで仕上がった人から、メディアから出て来たようなバンダナを頭に巻いた人(セットでB-3にヴィトンのバッグを持っていましたね)、これらは渋カジファッションを楽しんでいる人たちです。当時のわたし達より少し年上で、渋谷を観光目的で遊びに来た人たちです。
もうひとつ、明らかに恐い雰囲気の人も増えてきました。これは近郊の不良達がヤンキーからアメカジへ移行していく過程で、オシャレでハイソな地元っ子やチームに対抗し、シメるつもりでやって来た人たちでしょう。
でも、その頃になると地元っ子や、チーマーは、渋谷の街に行かなくなっていました。街っ子はその頃、青山や西麻布、六本木に遊び場を移していたのです。
結局、ガチで不良の渋カジ風の人は、高価な渋カジアイテムを身につけた観光客をカツアゲし始めて、それをボンバー狩りなどと呼ばれていました。これでは、うかうか着飾れないですね。
【 わたしの渋カジ後半戦 】
高3の夏頃、渋谷の街は再びアイビーライクになってきました。ラルフローレンのワンポイントシャツにちょっと太めの紺色のチノパンやマドラスチェックのパンツを穿いた人達が増えて来ました。足元はティンバーランドのゴツいモカシンか、バスのローファーやニューバランス、サッカニーなどですね。
秋になると、そこに金ボタンのブレザーが加わって、いよいよ紺ブレブームが始まりました。
同じ頃、雑誌POPEYEでとある特集がありました。それはカリフォルニアの高校生らしき陽キャの男女学生がパタゴニアのフリースにオークレー(今はオークリー?)のフロッグスキンというサングラスに、白いナイキのスニーカーを履いてはっちゃけてる内容です。これを読んで、わたしの中で、何かの終わりを感じました。
それは、アメリカのリアルは「渋カジ」のスタイルと全く別物と感じたからです。

