
【 考えない良さ 】
幸せとは、全て紋切りにして捉えると良いらしいです。そうすれば、昔の嫌なことを思い出すこともなく、未来を勘繰ってストレスを感じることもありませんからね。
ファッションに関しても、ほぼ同じことが言えそうです。
いまのわたしは好きなジャンルに一貫性を持たせることで、安心感や自己形成に役立てていますが、全く何も考えずに流行を追い続けたならば、それはそれで、常にワクワクして新鮮にファッションを楽しめるでしょう。
そんな時代がわたしにもありました。中学生時代です。
その結果、どうなったかと言うと、流行のエントロピー増大です。つまり、際限なく、とっ散らかっていくワケです。
【 中学時代の時代背景 】
わたしが中学生だった1980年代中盤は、DCブランドの盛り上がり真っ只中です。
DCブランドとはシックなデザイナーズブランドと、カラフルなキャラクターブランドをひとまとめにした呼び名ですが、実際にはコーラとスープを「飲み物」と呼んでいるように、括りは同じでも、テイストは全く違います。
中学生のわたしはそんなことは(もちろん)理解せずに、ただただカッコいい雰囲気の洋服をまとめてガッチャンコ(合体)したいワケです。そりゃ、つい先日まで小学生で、没個性が主流だった昭和の時代ですから、ファッションに触れる中学1年生なんかは真っ白なキャンバスです。
その上、先のブログでも触れたヤンキー美学と、小学生から中学の部活まで続くスポーツブランドのバタ臭さがミックスされるものですから、ハンドリングなんてできませんよね。
ここを体系化して、整えるのがスタイリングだと思います。
【 ピジョンクエスト 】
こうして、中学生ホヤホヤのわたしは、巷で流行っているアイテムやスタイルを日々の生活から「良いなぁ〜」ってぼんやりとイメージし、この感覚を元に、身近なお店だったり、入手しやすい環境から、目当ての服を見つけます。
目先の餌をつまむ鳩のように、わたしも京浜蒲田や大井町などで安価に流行をつまむ鳩状態です。まさにピジョンクエストです。
安価だし、昭和の量販店のチョイスですから、微妙な仕上がりなんですけど、本人的にはイメージに成り切って、とっても気持ちが良いんですよね。誰かと比較しなければ…
【 ショッピングを楽しむ 】
アパレルメーカーのセールなどに沢山の人が押し寄せ、買い物を楽しむ。これはイメージと同化ですね。
実はこのフェーズも相当に楽しいです。
わたしはアパレル業界にいて、この話をしているので、ポジショントークに聞こえがちですが、そこに優劣はありませんし、楽しんでいれば、ただただ、それで良いと思います。
優劣を作るのは、マーケット維持のためや、対価を払っている側の正当化だったりします。
ここからは、具体例を挙げながら、その思いに触れていきます。
【 中学時代に惹かれたもの 】
記憶にあるのは、中1の夏に流行っていたグルカスタイルです。大きめのメッシュ素材や綿のタンクトップを重ね着して、ベージュのグルカショーツとグルカ風のレザーの編みサンダルを合わせています。ここに蛍光色の服やらベルトが絡むのですが、どう合わたか?合わせなかったのか?覚えていません。
その冬はドラマ「毎度お騒がせします」で着てそうな、可愛い系のIVYスタイルに惹かれました。中学2年になると「夕焼けニャンニャン」が始まり、セーラーズっぽいペパーミントグリーンやピンクのダブっとした服も買いました。エイのようなドルマンスリーブのカットソーやシャツ(これは先輩にもらった)にも手を出して、わたしの中では一番やらかしていた時代です。
中学3年生になると安全地帯テイストといいますか?デザイナーズの方向に引っ張られてシックな洋服に惹かれます。黒いタートルネックに千鳥格子のジャケット、ヘリンボーンのコートなどダブっとしたパンツに合わせて統一感もようやく出てきました。
当時のわたしはテレビ番組や地元の流れの中で、フラッシュカードのように興味が移ろっていました。後先も考えず、もちろん一貫性はありません。
その一方で、心はIVYに傾きはじめている自分がいました。
【 姉の影響とIVYと 】
中学2年生くらいから、7つ年上の姉はコピーライターの糸井重里さんの事務所でお茶汲みのバイトをしていました。
姉は時々、わたしのために捨てる予定の雑誌を何冊か持って帰って来てくれます。それは何ヶ月も前のメンズクラブで、わたしが手にした初めてのファッション雑誌です。
わたしはそれを穴が空くほど読みました。
掲載している服はどれも高くて手が出ないものでしたが、高嶺の花としてそのイメージだけは持ち続け、このインプットが現在のわたしのスタイルを形作っています。
次回は高校生になって、味わった文化的ショックの話です。

