
中学生になりたてのわたしは、ファッション目線だと、とても縁遠い方向へ進んでいった時期ですね。
しかし、この期間に費やした情熱は、のちにビンテージ古着のディテールを掘り下げたり、小さな発見を楽しむ現在の自分へと、キチンと繋がっていました。
振り返ってみると、この時期も悪くなかったなぁと思います。
【 不良ファッションの目覚め 】
中学に入学する頃、近所の先輩達は、安定の昭和不良に仕上がっていました。
ある日、先輩から「これを穿いて(中学校の)入学式に出ろよ」って渡された学生ズボンは、ワタリ40cm以上もあるドカン(土管のように太いパンツ)です。
さすがに親に買ってもらった学生服を着ないで入学式を迎えるほどグレて無かったので、丁重にお断りしました。しかし、先輩達の男気には敬意も抱いていたので、そっちの方向にスイッチが入ってしまったのも事実で、ここから不良ファッションに興味を持ち始めました。
【 校則と反発 】
中学に入学する頃、なめ猫や横浜銀蝿で若者に不良を煽る一方で、ドラマ「3年B組金八先生」や「積み木崩し」で大人達に不良化を怖がらせるものだから、先生達は新入生の不良化阻止にピリついていました。
当然、反抗期を迎えた中学生達は、先生が校則で縛ろうとすればするほど、対抗心に火がついてしまいます。
手始めは、標準のベルトから、ビニールで編んだベルトに乗り替えることでした。編みベルトや極端に細いベルトは校則違反です。高学年が付けている綿の編みベルト(これも禁止)の方がソフトかつクールに映りましたが、それは少しだけ値段が高いのと、先輩への忖度でビニールの編みベルトを買うことにしました。やはり不良の世界は縦割り社会なので、出過ぎた真似はしないのがマナーなんですよね。
そのビニールの編みベルトは大井町駅前にあるヤワタヤという昭和のドン・キホーテみたいなお店で売っていました。ベルトを買いに行った時、また、そのベルトをして初登校したときは、先生に見つかる怖さと同時に、大人と対等に張り合おうとする自分にワクワクしました。
もちろん、このベルトは速攻で先生に見つかり、こっぴどく怒られました。それでも、さらに不良ファッションに惹かれていくのです。
※この大井町ヤワタヤは、日本で初めてセディショナリーズの服を取り扱っていたと、20年くらい前にネット記事で読んだことがあります。もうその記事は見れないので勘違いだったかなぁ?
【 中1の工夫 】
中1の小遣いは小学生に毛が生えた程度です。そんな学生でも楽しめるツッパリ仕様の改造があります。例えば、学生服の丸い金ボタンを少し潰して平たくしたり、その裏ボタンを「愛・羅・武・友・ハートマーク」と一文字ずつ書かれたものに付け替え、校章やバッジ類は外し、学帽もかぶらず、カラー(襟の代用みたいなパーツ)は中ラン用に付け替えました。
ほかにも、姉から影響で、学生鞄をペタンコに改造しましたが、必須ではなかったので、改造しただけに終わりました。
【 はじめてのボンタン 】
一年の夏休みが終わった頃に、近所の先輩からボンタンを譲り受けました。
ボンタンの気合い度は、おもに3つのポイントがあります。ワタリの太さと、ハイウェストの高さ、そしてタックの数です。
最初のボンタンは(近所の不良の御用達)京浜蒲田の学生服店ヤングのオリジナルで、いわばボンタンのエントリーモデルです。
ワタリは33cm、これは太いかどうか?もわからないレベルです。ハイウェストも1cmあるかないか?で、申し訳程度に切り込みが、入っています。タックはワンタック(一本)で、標準服と一緒でした。
しかし、ボンタンの基本は押さえてあって、垂直のポケット(通称「縦ポケ」)にヒップポケットの片側だけですがフラップが付いていて、反対のポケットにはYOUNGと書かれたピスネームが付いています。そして、後ろのベルトループはバッテンになっています。これは確実にボンタンです。ついに禁断の果実を口にしました。
中1にとって反抗は蜜の味、速攻で先生にバレるも、ワクワクした気持ちでいっぱいです。
【 夏服やスニーカー 】
夏服は、白い半袖シャツですが、不良はやっぱり開襟シャツです。なぜだか、ここには規制が入らず、張り合いは無かったですね。とはいえ、標準から外れるのは特別感があっていいですね。
また、足元は白い靴が校則となっています。コンバースのオールスタータイプか、トップサイダー風のデッキシューズで人気が二分しています。
地元では、ブランドリテラシーが低いのと、消耗が早いのとの理由で、商店街の靴屋で売ってる似たようなスニーカーがほとんどです。その中でも、デッキシューズ型を紐無し、踵を潰して穿いている男女諸先輩方が多くて、これが最適解だと思っていました。
一方、ガチの先輩は赤靴下に白メッシュ地のオジサン靴でしたが、思春期のハートも持ち合わせていたわたしには、そこに食指が伸びませんでした。
【中ランとセミラン 】
中2になる春休み、卒業した先輩から中ランを譲り受けました。
裏地は紫ベースの玉虫色で、いかにも悪そうな感じです。襟は4cmと少し高くて、袖の金ボタンは実際にボタンホールが使えて3個付いています。
ただ、袖の肘部分や腰部分が少々シェイプしており、戦後の番長感が少しだけしていました。しかし、それを凌駕するくらい中ランの存在は大きくて、嬉しい1着です。
しかし、新三年生になるひとつ上の先輩にこの中ランを1年間譲ることとなり、二年生で中ランを着ることはありませんでした。代わりに成長により学生服が小さくなったと親にねだって、京浜蒲田のヤングでセミランを新調します。
セミランというのは標準服と中ランの間に位置しており、袖にある2個の金ボタン(標準服も2個)はボタンホール式になっています。ボックスシルエットで着丈も少しだけ長めです。
親の金で買うので、先生に取り上げてられたら困ってしまいます。そのため中ランは避け、セミランを選びました。
目立った違いは、袖のボタンホールだけですが、たったこれだけの仕様が特別に思え、心躍るのでした。
こんな細やかな抵抗でも心地よいのです。
【 ボンタンの遍歴と不良熱の終焉 】
中学生の成長は早いもので、身体に合わせてボンタンも新調していきました。最終的にツータックでワタリ38cmのボンタンへと落ち着きます。サブの一本は大井町のヤワタヤで買った太めの片玉ブチのヒップポケットの応援団仕様です。応援団目線で学生服を掘る人はいなかったので、自分的には気に入っていました。
しかし、この頃になると、すっかり不良への憧れも薄まっていました。
先生達とも仲良くなって、部活中心の生活です。最終的には、登校は部活のジャージと短パン(これもこだわりがあるのですが)姿になっていました。
中学3年になると、先輩から中ランも戻って来て、中ラン、ボンタン、ベルトは綿のメッシュベルト、足元はデッキシューズが正装となりました(普段は短パンなので)。
もう、先生に指導されることもありません。放任されると、逆に熱が冷めるのでしょう。学校生活も、好き勝手に伸び伸びやっていたから、不良や反抗という概念すら手放していました。
一方で、1年生の時につるんでいた友人は、茶髪のパーマ姿になり、長めの中ランと極太でハイウェストのボンタンを穿いて我が道を進んでいました。わたしの学年はスポーツが強かったので、完全に棲み分けされ、互いに空気のような存在になっていました。いま思えば、彼なりに筋を通した学生生活を送っていたのだと思います。
【 オリジナル 】
京浜蒲田のヤングで配布された学生服のカタログの中には、極端に太いボンタンや長ラン、中ランが掲載されていましたが、わたし自身はこうしたエクストリームな格好には興味が出ませんでした。一見分かりづらいスペックに中学生ながらの侘び寂びを感じて、そこが楽しかったのだと思います。
経済的理由や上下関係の忖度など、制限の中で自己解釈と工夫でバランスを考えること、これは今のファッション美学に通じるものがあります。
不良ファッションを遡ればロカビリーの流れもありますが、地元では独特の進化を遂げていました。オリジナルを知らないがゆえにハイブリッドな文化が芽生えることもあるワケで、その進化する様が楽しかったりします。
いまでこそ、原点を突き詰めてから崩してくのがわたしの定石ですが、次回はオリジナル無視の感覚だけで着飾るカオスな中学生時代の私服について触れたいと思います。

